イスラエル民族と法王の捕虜および帰還時代
イスラエル民族と法王の捕虜および帰還時代
イスラエル民族と法王の捕虜および帰還時代
イスラエル民族のバビロン捕虜および帰還 | 法王捕虜および帰還 | |
---|---|---|
時代 | 旧約時代 (南北王朝分立時代の後) | 新約時代 (東西王朝分立時代の後) |
期間 | 摂理的期間:210年間 学説的期間:197年間(BC597 - 400頃) | 摂理的期間:210年間 学説的期間:208年間(1309 - 1517) |
始まり | BC597年(※1) 南朝ユダ(ユダ王国)のイスラエル民族が新バビロニア王(※2)によって、バビロンに捕虜として捕らえられる。 ※1:BC 597年、586年、581年の前後3回にわたって捕囚された。 ※2:ネブカデネザル2世(在位紀元前605年 - 紀元前562年) | 1303年、ローマ法王(※1)がフランスの王(※2)によって捕らえられ、幽閉された。1305年には、フランス人の大司教(※3)を法王に選出させ、1309年には、法王庁をローマから南フランスのアヴィニョンに移した。 ※1:ボニファティウス8世 ※2:フィリップ4世 ※3:フランス人のボルドー大司教をクレメンス5世として法王に選出させた。 |
原因 | イスラエル民族の不信 イスラエル民族が不信仰に陥って、一向に悔い改めなかったため、神殿理想を復帰することができなかった。 ※ソロモン死後、イスラエル王国は南北に分立。その後、北朝イスラエルは偶像崇拝によりアッシリヤに滅ぼされ、南朝ユダも不信に陥り、神殿理想を再建できなかった | 法王の不信(み旨に反した) 「実体基台」の中心人物として立てるための霊的な基台を造成しなければならなかった法王たちが、一向に悔い改めず、「再臨のメシヤのための基台」をつくることができなかった。 |
結果 | イスラエル民族のバビロン捕囚 南朝ユダの住民の多くが、バビロニアの王ネブカデネザルによって捕虜として捕らえ、サタン世界であるバビロンに捕虜として連れていかれ、苦役を受けるように摂理された。 | 法王のアヴィニョン捕囚 神は「再臨のメシヤのための基台」を復帰するための新しい摂理をされるために、法王が捕虜となって苦役を受けるように摂理された。 |
捕囚 期間 | 摂理的期間:70年間 学説的期間:59年間(BC597 - 538) エホヤキム王をはじめダニエルその他の王族、そして、政府の大臣たち、官吏と工匠など、数多くのユダヤ人たちが、バビロニア王ネブカデネザルによって、捕虜として捕らわれていった期間 | 摂理的期間:70年間 学説的期間:68年間(1309 - 1377) 法王がフランスの王の支配下におかれた(南フランスのアヴィニョンに幽閉された)期間 ※このときの7代にわたる法王はすべてフランス人であった |
帰還 期間 | 摂理的期間:140年間 学説的期間:138年間(BC538 - 400年頃) BC538年バビロニアがペルシャによって滅ぼされ、ペルシャ王クロスの詔書によってイスラエル民族は解放。その後、三次にわたって故郷に帰還し、BC400年頃にかけて、預言者マラキを中心として、メシヤのために準備する民族として立てられるときまでの期間。 | 摂理的期間:140年間 学説的期間:140年間(1377 - 1517) 南仏アヴィニョンに幽閉された法王(※)がローマに帰還したのち、1517年、ルターを中心とする宗教改革が起こるときまでの期間。 ※1377年法王グレゴリー11世(=グレゴリウス11世) |
帰還後 | BC400年頃 マラキによる政教の刷新 バビロンの捕虜生活から帰還してきたイスラエル民族は、ネブカデネザル王によって破壊された神殿を新築し、また、マラキ預言者の指導によって、邪神を崇拝してきた過去の罪を悔い改めながら、律法を研究し、信仰の刷新運動を起こすことによって「信仰基台」を復帰してきた(帰還して神殿理想を立て直した)。 | 1517年 マルティンルターによる宗教改革 王がローマに帰還したのちの中世におけるキリスト教信徒たちは、ルターなどを中心として、宗教の改革運動を起こし、中世暗黒時代の暗雲を貫いた。そして、(キリスト教徒たちは)新しい福音の光に従い、信仰の新しい道を開拓することによって「信仰基台」を復帰してきた。 |
〔参考・引用〕
世界基督教統一神霊協会「原理講論」/山川出版社「詳説 世界史」/アッシャー年表(Ussher chronology)/いのちのことば社フォレストブックス「まんがキリスト教の歴史(前篇)」