ローマ/王政から共和制へ
共和制が樹立 - BC509年
ローマの王政(※1)は、紀元前509年に大きな転機を迎えます。王が追放され、共和制(※2)が樹立されたのです。
ローマの共和制で、政治の実権を握ったのは、有力貴族によって構成された元老院。独裁者が現れて個人に権力が集中しないように、集団で意見をまとめて、国家を運営して行こうと考えたのです。
※1:ローマの王政は、BC753~BC509年(244年間)、7代にわたって続きました。
※2:共和制とは、端的にいえば「市民の合意によって政治を運営するしくみ」のこと。
イタリア半島を統一 - BC272年
共和政ローマは強い武力によって、周辺の都市国家や部族を征服していきました。紀元前272年にはイタリア半島の統一。数多く存在する都市国家のひとつに過ぎなかったローマですが、その後も地中海世界に領土を広げていきます。
ポエニ戦争 - BC264~146年
第3次ポエニ戦争 ゾウは現在でいう「重戦車」でした。
イタリア半島を統一したローマは大きな問題に直面しました。食糧問題です。イタリア半島では、オリーブやブドウ栽培、牧牛などが盛んでしたが、小麦の生産状態はよくありませんでした。そのため、穀倉地帯の確保はローマの急務となりました。このときの元老院の結論は、隣接するシチリア島を確保するというものでした。
当時、シチリア島はカルタゴの支配下にあり、食糧の供給源、商船の寄港地として重要な場所になっていました。ローマがこの地に侵入しようとすれば、戦争は避けられません。ローマとカルタゴの緊張は強まり、ポエニ戦争が始まりました。ポエニ戦争は3次にわたり、約120年間続きました。
ローマの帝国化のはじまり
第1次ポエニ戦争(BC264~BC241)では、ローマはカルタゴに勝利し、初の海外領土シチリア島を獲得(※)しました。
※その後もローマは海外領土を獲得しますが、これらを「属州」といいます。ローマは前1世紀までに、ギリシア、マケドニア、アナトリア(現トルコのペルガモン)、シリアなど、エジプトを除く東地中海のヘレニズム諸国を次々と属州にしました。
第2次ポエニ戦争(BC219~BC201)では、ハンニバル率いるカルタゴ軍を撃破。第3次ポエニ戦争(BC149~BC146)では、地中海の覇権を完全に掌握します。
ローマの帝国化は、このときから始まったといわれています。
〔参考・引用〕
山川出版社「詳細 世界史B」/NHK高校講座 世界史/池田書店「マンガでわかる世界史」/中経出版「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」/教材工房「世界史の窓」