聖書と歴史の学習館

シモン・ペテロ十二使徒中の第一人者

Peter Paul Rubens 1610-1612
(source:WIKIMEDIA)

ペテロ(シモン・ペテロ)はイエスに最初に信仰告白をし、第一弟子として選ばれた12弟子の一人。イエスから天国の鍵を授かり初代教皇となりました。イエスが拷問を受けているときには、イエスの弟子であることを否認したものの、その後、悔い改めてイエス復活の証人となります。ペテロはたびたび逮捕されながらも、宣教活動を続け、最後には、ローマ皇帝ネロの迫害を受け、逆さ十字架にて殉教しました。

01/11

ペテロ(シモン・ペテロ)

ペテロ(シモン・ペテロ)は、イエスに最初に信仰告白をし、第一弟子として選ばれた12弟子の一人。イエスからぺトロ(岩/教会の礎石)という名を命名されます。ガリラヤ湖畔のベトサイダの漁師出身で、イエスから天国の鍵を授かり初代教皇となりました。

イエスの宣教活動中(存命中)には、信仰に熱が入らなかったこともあったようですが、イエスが処刑された後、ペテロは初代教会の指導者となり、ローマ・カトリックでは初代教皇(在位:~64頃)としています。イエスが拷問を受けているときには、イエスの弟子であることを否認したものの、その後、悔い改めてイエス復活の証人となりました。ペテロはたびたび逮捕されながらも、パレスチナ・小アジア・ローマで宣教活動を続け、最後には、ローマ皇帝ネロの迫害を受け、逆さ十字架にて殉教しました。

なお、ペテロの後継者は「ローマ法王(※)」と呼ばれるようになり、今もなお、ローマ・カトリック教会の最高司祭として、綿々と受け継がれています。

※ペテロの本名はシモンまたはシメオン(Simon/Simeon)。

※日本のマスコミ等では「ローマ法王」という呼称が使われていますが、日本のカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の呼称を推奨しています。

※2024年3月現在のローマ教皇は、第266代のフランチェスコ1世(Francesco I|在位:2013~)。


02/11

ペテロとイエスとの出会い

ペトロの弟・アンデレは、洗礼ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の弟子でした。ある日、洗礼ヨハネとアンデレが共にいるとき、イエスが歩いておられました。そのとき、洗礼ヨハネは「見よ、神の小羊だ」と言って、イエスを神の子(メシヤ)であることをアンデレに教えました。すると、アンデレはイエスの所へ行き、その日はイエスとともに過ごしました。翌日、アンデレが兄ペテロ(シモン)にそのことを話し、イエスのもとに連れて行きました。そのとき、イエスから「ペテロ」という名をもらいました。しかし、このときはまだ正式には弟子入りしていなかったようです。

※イエスに先に出会ったのはアンデレでしたが、12弟子の中では、兄のペテロが「一番弟子」の立場となりました。

新約聖書

(=アンデレ)は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシアに出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(=岩/ペテロ)と呼ぶことにする」と言われた。

新約聖書/ヨハネによる福音書1章41節~42節


03/11

大漁の奇跡

イエスと出会ったあと、ペテロとアンデレの兄弟は漁師生活に戻りましたが、ガリラヤ湖畔で再びイエスに会い、大漁の奇跡を目の当たりにします。

大漁の奇跡

The Miraculous Draught of Fishes, Peter Paul Rubens, 1618 - 1619

ある日、シモン(ペテロ)とアンデレの兄弟は、ガリラヤ湖へ漁に出掛けました。しかし、その日は、一晩中働いても収穫はありませんでした。イエスもガリラヤ湖に来ており、うわさを聞いた多くの人が、神の言葉を聞こうと、イエスのまわりにひしめき集まっていました。

ペテロとアンデレを見掛けたイエスは、彼らの舟に乗り込み、彼らに網を下ろすように命じました。ペテロは気が進まない様子でしたが、しぶしぶ網を下すと奇跡的な大漁となりました。

新約聖書

大漁の奇跡

イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。

新約聖書/ルカによる福音書5章1~7節

04/11

ペテロの弟子入り~人間をとる漁師に

大漁の奇跡を目の当たりにしたペテロをはじめ、一緒にいた仲間たちはとても驚きました。ペテロはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました。するとイエスは「恐れることはない。わたしについて来なさい。今から後、あなたを人間をとる漁師にしよう。」と言われました。するとペテロとその弟アンデレは、舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従うようになりました。彼らはイエスの弟子となり、行動を共にするようになりました。

※ルカによる福音書 5章8節~11節


05/11

ペテロの大胆さと臆病さ

イエスの弟子たちが、荒波の中で舟を進めていると、湖上をイエスが歩いていました。それを見たペテロは、自分にも命令して、湖上を歩き、イエスの元へ行かせてほしいと頼みました。そして、イエスはペテロに来るように命じました。ペテロは水の上を歩きはじめましたが、数歩歩いたときに強風にあおられました。ペテロは恐怖心を持ったとき荒波で溺れそうになり「助けてください!」と叫びます。ペテロはイエスに助けられましたが、信仰が薄いと叱られました。

このマタイによる福音書の記録は、ペテロがイエスに叱られるというオチがあり、ユーモアを感じさせるようなストーリーになっています。同時にペテロの大胆さと臆病さを読み取ることができ、人間らしさを感じる一場面となっています。なお、この物語はさまざまな解釈がなされ、「信仰心」や「救い」、「イエスの復活」などをテーマとする説教の中で、引用されることがしばしばあるようです。

新約聖書

湖上を歩く奇跡

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペテロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペテロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

新約聖書/マタイによる福音書14章25節~33節

※イエスが湖上を歩く奇跡は、マタイ福音書だけに記録されています。


06/11

ペテロが天国の鍵を授かる~キリスト教会の原点

ペテロが天国の鍵を授かる

聖ペトロへの天国の鍵の授与 ペルジーノ1480-82年頃
システィーナ礼拝堂

ペテロがイエスに弟子入りしてから時が経ち、ペテロをはじめ、弟子たちの信仰も篤くなり始めていました。イエスは弟子たちを試そうと、「私を誰と言うか」と質問した。ペテロは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白した。イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てよう」、「あなたに天国の鍵を授ける」と言って、ペテロを賞賛した。これがキリスト教の教会の原点で、ここからキリスト教の教会が出発したといわれています。なお、カトリック教会は、天国の鍵を「教皇の首位権」とみなしており、ペテロがイエスから初代教皇に任命されたものと理解しています。

新約聖書

ペテロが天国の鍵を授かる

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペテロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペテロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

新約聖書/マタイによる福音書16章13節~19節
column

2つに分かれる「岩」の解釈

2つに分かれる「岩」の解釈の写真

 

マタイによる福音書16章13節~19節にはキリスト教会の原点が記録されています。イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われましたが、「この岩」の解釈が、カトリック教会とプロテスタント教会で分かれています。

カトリック教会は「この岩」を人物としての「ペテロ」と解釈しています。つまり「イエスがペテロを初代教皇に任命した」と考え、ペテロを初代のローマの司教(教皇/法王)とみなしています。そして、代々の教皇がイエスからペテロに授けられた天国の鍵を継承しています。

一方、プロテスタント教会は「この岩」をペテロの「信仰告白(ペテロがイエスをメシアとして信じているという告白)」と解釈しており、「イエスをメシアと信じる信仰の土台の上に教会が成り立っている」と理解になります。


07/11

ペテロの三度の否認

最後の晩餐で、ペテロは「自分は決してイエスを裏切るようなことはしない、牢に入って一緒に死ぬことも覚悟している」とイエスに伝えました。しかし、イエスはペテロに対し「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしのことを知らないというだろう」と言われました(マタイ26/33-35、ルカ22/33-34)。

イエスが逮捕され、大祭司カイアファの邸宅の牢に連れ込まれ、拷問を受けているとき、ペテロはなんとかイエスを救出しようと中庭にまぎれ込みました。

中庭でペテロは、3人の人物からイエスの弟子ではないかと問われますが、三度とも弟子であることを否認。三度目の否認をしたとき、鶏が鳴きました。ペテロは、イエスの言葉を思い出すと、中庭から外に走り出て、激しく泣きました。

新約聖書

ペテロの三度の否認

ペテロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペテロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。ペテロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペテロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペテロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」そのとき、ペテロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。

するとすぐ、鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

新約聖書/マタイによる福音書26章69節~75節
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鶏鳴教会

鶏鳴教会の写真

 

ペテロが三度否認した現場に建てられた教会。エルサレムの南東部シオンの丘にある。教会内の地下には、イエスが最後の晩を過ごした牢獄が現存する。ここから総督ピラトの官邸に連れて行かれ、裁きを受けたといわれています。


08/11

天使に救出されるペテロ

ペテロは初代教会の指導者となり、五旬祭(ペンテコステ)で聖霊が降ったとき、キリスト教最初の説教をエルサレムで行ないました。その後も説教を続けたため、ヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ一世)に逮捕されてしまいます。

聖ペテロの解放 アントニオ・デ・ベリス
source:WIKIMEDIA

牢に入れられたペテロは四組の兵士たちが交代で監視されていました。過越祭の後に民衆の前に引き出される予定でした。一方、教会では熱心な祈りがペテロのためにささげられていました。ペテロが引き出される前夜、彼は二本の鎖でつながれ、兵士たちの間で眠っていました。牢の戸口では番兵たちが見張っていました。すると、天使が現れ、牢の中を照らしました。天使はペテロのわき腹をつついて起こし、「早く起きて」と言いました。すると、鎖がペテロの手から外れ落ちました。天使は「帯を締め、履物をはき、上着を着て、ついてきなさい」と言いました。ペテロは天使に導かれて外に出て行きましたが、起こっていることが夢か幻かと思いました。しかし、第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門が自動的に開き、通りを進むと、天使は突然姿を消しました。ペテロは自分が救い出されたことを悟り、「今、初めて実際のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデやユダヤ民衆の企みから救い出してくださったのだ」と言いました。ペテロのために祈っていた教会の信徒たちもたいへん驚きました。

※新約聖書/使徒言行録12章1節~11節


09/11

ペテロの投獄

イエスが処刑され、3日目に復活した後、ペテロはイエスがメシヤであったことを心から信じ、篤い信仰者となっていました。エルサレムで信仰と伝道に全身全霊を捧げ、信者たちの指導者となって、エルサレムの教会をまとめた後、ローマで布教活動を行ないました。

ペテロがローマに渡ったとき、皇帝クラウディウス(在位:41年~54年)~皇帝ネロ(在位:54年~68年)の時代でした。皇帝ネロは、側近に魔術師シモンを置き、寵愛していました。シモンは、しばしば、ペテロの宣教に異議を唱え、伝道活動を妨げていました。ある日、ペテロは奇跡でシモンを倒してしまいます。皇帝ネロは激怒し、ペテロとパウロを共に投獄しました。

牢獄では二人の騎士(プロケッススとマルティニアヌス)に見張られていました。しかし、二人ともペテロの話を聞いて、感銘を受け、イエスを信じるようになりました。そしてついには、二人の騎士は牢獄の扉をあけて、ペテロとパウロを解放しました。のちに、二人の騎士は高官パウリヌスは二人を呼びつけられ、キリスト信者であることを聞くと首をはねて殺害してしまいました。二人は殉教者として、旧アウレリア街道に埋葬され、その場所に教会が建てられています。

※参考:Jacobus de Voragine, Golden Legend


10/11

ペテロの殉教

ペテロの処刑

牢獄から解放されたペテロは、信者たちからローマから逃れるよう懇願されました。彼自身は躊躇していましたが、信者たちの熱心な願いに押され、ローマを離れることを決意しました。そして旅立ったペテロの前に、驚くべき出来事が起こりました。

ペテロがローマを離れてしばらくすると、イエス自身が彼の前に姿を現しました。驚いたペテロは、イエスがどちらに行かれるのか尋ねます。イエスの答えは、彼に新たな試練をもたらしました。「もう一度十字架に上がるのだ」という言葉に、ペテロは悔い改め、自らも共に苦しみを分かち合おうと誓います。

しかし、その誓いが告げられた殉教であることを悟ったとき、ペテロは涙を流しました。彼はローマに戻り、ネロの手によって逮捕されました。そして処刑の際、彼はイエスと同じ十字架にかけられるのは畏れ多いとして、逆さ十字架に身を委ねて殉教しました(64年頃)。

Golden Legend

ペテロの殉教

ペテロは、十字架のところに着くと、こう言った。「キリストは、天から地にご降臨になったので、頭を上にした十字架におあがりになった。しかし、わたしは、地上から天へ行くにあたいするとされたわけだから、わたしの頭は地にむき、足は天にむくようにしてもらいたい。つまり、わたしは、主とおなじ恰好で十字架にかけられる値うちがないのだから、どうか十字架をさかさまに立て、頭が下になるようにしてほしいのです」それで、十字架をさかさにし、足を上に、手を下にむけて釘けられた。

現在、ペテロの墓の上には、サン・ピエトロ大聖堂(聖ペテロ大聖堂)が建てられている。

Jacobus de Voragine, Golden Legend
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サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂の写真

 

サン・ピエトロ大聖堂は使徒ペテロの墓所を祀る聖堂。キリスト教を公認(313年/ミラノ勅令)したローマ皇帝コンスタンティヌス1世により4世紀に建設されました。キリスト教教会建築として、世界最大級の大きさを誇っています。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものといわれています。


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ペテロの遺骨の入った箱の公開

ペテロの遺骨の入った箱を手にする教皇フランシスコ
©Vincenzo Pinto/AFP

2013年11月24日、聖ペテロ(Saint Peter)の遺骨を納めた箱が初めて一般公開されました。教皇フランシスコ(Francis)が主催したこの歴史的な儀式により、世界中から数万人の信者や観光客が聖ペテロ大聖堂の広場(St Peter's Square)に集まり、神聖な体験を聖地で共有することができました。

ペテロの遺骨は1939年から始まった地下墓地の発掘調査で、ローマ帝国の迫害から逃れるために埋葬されたとされる場所で発見されました。その発見はキリスト教界に大きな感動をもたらしました。教皇は、この機会に聖ペテロの遺産を讃え、信者たちに聖地巡礼を奨励するとともに、キリスト教の根源に対する信仰を深めるよう呼びかけました。サンピエトロ広場は感動と祈りに包まれ、この歴史的瞬間は世界中のメディアで広く報道されました。

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初代ローマ教皇(ローマ法王)となったペテロ

初代ローマ教皇(ローマ法王)となったペテロの写真

 

イエスが生きていた当時は、キリスト教はまだ独自の宗教といえるものではありませんでした。イエスの死後、ペテロたちが教えを広め、キリスト教(原始キリスト教)が成立しました。

ペテロはイエスの12人の弟子の中から、イエスによって特別に選ばれ、「天国の鍵」を授かったため、初代教皇に任命されたと理解されています。つまり、ローマ教皇(ローマ法王)は、ペテロの後継者です。「天国の鍵」には「イエスの教えを継ぐ者」という意味があり、ローマ教皇の紋章には、常に「天国の鍵」が描かれています。

2013年3月に南米から初のローマ教皇にフランシスコ1世が選ばれました。教皇のパレードが行われたときには、大勢の人が声援を送り、涙ぐむ人も見られました。教皇を見るということは、聖ペテロを見るのと同じことだから感銘を受けるとのこと。ペテロはキリスト教の礎を築いた人物であるとされ、キリスト教徒の心の礎にもなっているようです。

〔出典・参考〕
日本聖書教会「新約聖書」/創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/en.wikipedia/河出書房新社「図説 イエス・キリスト 聖地の風を聞く」/光言社「日本と世界のやさしいキリスト教史(梅本憲二)」/ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」/テレビ東京「137億年の物語 - キリスト教 ヨーロッパに広がる」