信仰の父 アブラハム

神の命令に従い、最愛の息子イサクを生贄として神にささげようとしたアブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの三宗教で「信仰の父」とよばれている

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アブラハムとは

アブラハム(Abraham)は、「旧約聖書」の創世紀に登場するイスラエル民族の初代族長です。カルデアのウル(メソポタミア)で生誕し、地中海東海岸のカナンの地(パレスチナ)に移り定住しました。ノアの息子セムから数えて、ちょうど10代目にあたります(ノアの洪水から約400年)。また「新約聖書(マタイによる福音書)」には、アブラハムは、イエスの系図の祖として記録されています。

年老いてから生まれた最愛の一人息子イサクを神の命ずるままに犠牲として献げようとしたアブラハムの信仰は高く評価され、神によって義とされた、と伝えられています。この評価は「新約聖書」に受け継がれ、「ヤコブの手紙」には、『こうして「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。』と記録されています。

ユダヤ教の古代の注釈書「ミドラシュ」では、アブラハムがその父テラの信じていた偶像を破壊して唯一神信仰を確立したことを詳しく描写しています。また、イスラームの「コーラン」では「アッラーに服従し、純正な信仰であった」と称賛されています。

アブラハムの人物伝は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典である「旧約聖書」に記録されています。アブラハムは3宗教に共通する「聖典(啓典)の民」の始祖であり、「信仰の父」と呼ばれ、尊崇されています。

なお、アブラハムの名は、神の命令により「アブラム」から改名したものです。ヘブライ語でアブラムは「気高い父」、アブラハムは「多くの人の気高い父」を意味します。ちなみに、妻サラ(女王)の名は「サライ(私の女王)」から改名したものです。

※カルデアのウル=文明が発祥したメソポタミア地方南部(現在のイラク南部)の古代都市ウルとされています。

Column

ユダヤ人とアラブ人

現在のユダヤ人はアブラハム-イサク(次男/妻サラとの子)-ヤコブの子孫にあたり、アブラハムはユダヤ人の始祖とされている人物です。そのため、ユダヤ人(ユダヤ教)の歴史は紀元前20世紀頃の「神とアブラハムとの契約」が起点とされています。

また、イスラム教のコーランではアラブ人をアブラハム-イシュマエル(長男/女奴隷ハガルとの子)の子孫であるとしています。

02/16

ウルからハランへ

Abraham's Journey from Ur to Canaan/カナンへの旅立ち<br />József Molnár(1850年製作)ハンガリー国立美術館

Abraham's Journey from Ur to Canaan József Molnár(1850年製作) ハンガリー国立美術館

アブラハムの父テラはカナン(※1)に移り住むことにしました。その理由は聖書には記録されていませんが、アブラハムがウルで生活していた紀元前2000年頃、エラムがウルに侵攻し、ウルが陥落するという出来事がありました。その難を逃れるための移住だったかも知れません。

テラは、家族(アブラハムと嫁のサラ、孫のロト)を連れウルを出発しました。そして、途中のハラン(メソポタミアのハラン地方、ユーフラテス川のほとり)に住み着みつくことになりました(※2)テラは205歳となり、ハランで一生を終えました。

※1:カナン=ヨルダン川西岸。現在のパレスチナ

※2:カナンに向かったはずなのに、途中のハランに住んだ理由は不明です。

アブラハムの行程マップ - ウルからハランへ

アブラハムの行程マップ - ウルからハランへ

Old Testament

テラは、息子のアブラムと、ハランの息子で彼の孫のロト、および息子アブラムの妻で嫁のサライ(※3)を連れて、カルデアのウルを出発し、カナンの地に向かった。彼らはハランまで来ると、そこに住み着いた。テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。

旧約聖書/創世記11章31節~32節

03/16

約束の地「カナン」へ

アブラハムの召命(最初の祝福)

ハランでは、アブラムは、牧羊を営む民を率いる族長となりました。ある日、神(ヤハウェ)の声を聞き、カナンの地(現在のパレスチナ)へ行くことを命ぜられました。アブラハムは、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナンへ向けて旅立ちました。アブラムが75歳の時のことでした。

Old Testament

ヤハウェはアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民の祖父としよう。あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。祝福の基となりなさい。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。大地のあらゆる種族は、あなたの名によって祝福し合うであろう。」
アブラムは、ヤハウェの言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。ハランを出発したとき、アブラムは七十五歳であった。

旧約聖書/創世記12章1節~4節

聖書では、父テラが亡くなったのは、創世記11章の最後で、それに続く12章の最初に、アブラハムが召命が記録されています。そのため、テラが亡くなったときに、アブラハムが召命を受けたように読み取れますが、よくよく聖書を読んでみると、アブラハムが召命を受けカナンに向けて出発したのは、テラが存命中であることがわかります。

アブラハムが生まれたのは、テラが70歳の時で、テラが亡くなったのは、アブラハムが135歳のときになります。アブラハムが召命されたのは75歳と聖書に記録されているので、アブラハムがハランを出発し、カナンに向かったのは父テラが145歳で存命中であったことがわかります(下図参照)。生まれ故郷や親よりも神の召命を重んじたアブラハムの神への信仰の深さが窺えます。

テラの存命中にアブラハムは召命を受けた


アブラハムが歩んだカナン地方の路程マップ

アブラハムが歩んだ路程(旧約聖書・創世記第12章~第13章)

シケムに祭壇を築く(2度目の祝福)

アブラムが、一族とともにカナン(シケム)(※1)にたどり着くと、神(ヤハウェ)は「この地をあなたの子孫に与える」と約束しました。そして、アブラムは、シケムに祭壇(※2)を築きました。

※1:シケム(エルサレムの北方約50km)

※2:神に供物や犠牲をささげる台。石で造られた石壇や石積壇、土を盛りあげて造った土壇などがあります。祭壇は、供物を介して神と人とのつながりの場といわれています。

Old Testament

アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、彼らが得たすべての財産を携え、ハランで加わった人々と共にカナンの地へ向かって出発した。こうして彼らは、カナン地方に入った。
アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木(テレビンの木)のところまで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
ヤハウェはアブラムに現れて言われた。
「あなたの子孫に私はこの地を与える。」
アブラムは、自分に現れてくださったヤハウェのために、そこに祭壇を築いた。

旧約聖書/創世記12章5節~7節

ベテルの東の山に祭壇を築く

その後、アブラハム一行は、さらに南下してベテルの東の山(ベテルとアイの間)に移り住み、第2の祭壇を築きました。べテルはへブル語で「神の家」という意味で、アイは「廃墟」という意味になります。ベテルの東の山はエルサレムの北方約20kmに位置します。

Old Testament

アブラムは、そこからベテルの東の山の方へ移り、天幕を張った。そこは、西にベテル、東にアイを望む所であった。そこにもヤハウェのために祭壇を築き、ヤハウェの御名によって祈った。

旧約聖書/創世記12章8節

ネゲブへ移住

さらに、アブラハムはネゲブ(カナン南部、現在のイスラエルの南部の砂漠地帯)に移りました。

Old Testament ▼
Old Testament

アブラムはなお進んでネゲブに移った。

旧約聖書/創世記12章9節

04/16

エジプトへ避難

その後、ネゲブ地方に飢饉が襲ったため、アブラハム一行はエジプトへ避難することになりました。

ところでアブラハムの妻サラはひときわ美しい女性でした。エジプトに入ったとき、もし、エジプトの王(ファラオ)たちが、サラがアブラハムの妻であることを知ったら、夫を殺すのではないかとアブラハムは危惧しました。そこで、サラはアブラハムの妹であると偽ることにしました。案の定、王の役人たちは、サラの美貌に惚れ込みました。そして、宮廷に召し出し、羊や牛、ロバ、ラクダ、奴隷など多くのものをアブラハムに与えました。そして、サラが危うく王のものとなるところを、神の配慮で救われました。神を恐れたファラオは、アブラハムに立ち去るように命じ、アブラハムはエジプトで多くの富を得て、カナンに帰還しました。

Old Testament ▼
Old Testament

その地に飢饉が起こった。飢饉はその地に激しかった。アブラムはエジプトに下った。そこに寄留するためである。

旧約聖書/創世記12章10節


Old Testament
アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。だからこそ、わたしの妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。

旧約聖書/創世記12章14節 - 20節

05/16

カナンへ帰還

ロトとの別れ

アブラハムと甥のロトは、羊や牛をはじめ、多くの従者を持っており、非常に裕福でした。しかし、従者(羊飼い)の間で、しばしばいさかいが起こるようになり、アブラハムとロトは別れて住むことになりました。二人は相談し、アブラハムはカナンの地に住み、ロトはソドムの近くに住むことになりました。

ベテルの東の山へ(3度目の祝福)

そして、アブラハムが、エジプトからカナン(ベテルの東の山/ベテルとアイの間)に戻ったとき、再び神(ヤハウェ)の声を聞きます。ヤハウェは「この地をあなたの子孫に永遠に与える」と約束されました。

Old Testament
ロトがアブラムと別れて後、ヤハウェはアブラムに言われた「さあ、目をあげてあなたのいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているすべての地を、永久にあなたとあなたの子孫に与えよう。わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。あなたは立って、その地を縦と横に行き巡りなさい。わたしはその地をあなたに与えます」。

旧約聖書/創世記13章14節~17節

ヘブロンに祭壇を築く

その後、アブラハムはヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、そこに祭壇を築きました。

Column

テレビンの木学名:p.palaestina 英名:palestina teterebin

テレビンの木は、聖書の中で所々に登場します。ウルシ科カイノキ属の植物ですが、テレビンの木が樫の木(ブナ科コナラ属)と混同されている場合が多いようです。テレビンの木は樹齢500年以上にもなる生命力の強い木です。また、林や森林をつくらず、一本だけで生えていることが多く、存在感のある木です。横にも枝葉を広げるため、テレビンの木陰は涼しく、人々の疲れを癒してきたことでしょう。山火事で燃えても、その燃え残りの株から再び芽を出したり、切り倒しても、切り株から再び若枝を出して、力強く成長します。聖書の中で、テレビンの木は、神の顕現、祭壇、礼拝、聖所、聖別に深く係わっているようです。

〔参考・引用〕我孫子バプテスト教会(聖書の植物学)

06/16

王の連合軍に戦いを挑んだアブラハム

連合軍を敗走させ、甥のロトを救出するアブラハムたち

祭司メルキゼデクから祝福を受けるアブラハム

紀元前2000年頃、エラム王(ケドルラオメル)には、 死海の南地域の5人の王たちが隷属していました。 しかし、その5人の王たちが反逆をし始めたので、 これを平定するために、エラム王は 同盟者である東方の3人の王(※)と連合し、 死海周辺の町を攻めました(シデムの戦い)。

※シナル王(アムラフェル)、エラサル王(アルヨク)、ゴイム王(ティドアル)

その結果、戦火はソドムとゴモラにも及んだため、アブラハムの甥のロトは ソドムでの戦争に巻き込まれて、エラム王らの連合軍の捕虜となり、財産もろとも連れ去られてしまいました。

このことを知ったアブラハムは、訓練を受けた318人の僕を召集し、 エラム王らの連合軍に奇襲作戦で襲撃をかけたところ成功。連合軍は敗走し、 甥のロトを救い出し、彼の財産をすべて取り戻しました。

戦いの末、ソドムを救ったアブラハムが凱旋するとき、ソドム王やエルサレム王(シャレム)に迎えられました。 さらに、祭司メルキゼデクはパンとぶどう酒を持参し、アブラハムは祝福を与えました。アブラハムは戦利品の十分の一をメルキゼデクに贈りました。 そして、ソドム王は「捕虜となっていた人々は私に返しください。しかし、財物はすべてお持ち帰りください。」とアブラハムに戦利品を受け取るようにすすめますが、 アブラハムは「私は何も要りません。ただ、私と一緒に出陣したアネル、エシュコル、マムレには、分け前を取らせてください。」といい、自らの取り分を辞退しました。悪名高きソドムの王から、与えられたもので裕福になることは、アブラハムにとって屈辱であったからです。

この戦いの経緯をふりかえると、アブラハムが人情に厚く、しかも勇気のある人物であったこと、 また、何かの手柄を立てても、権利や報酬を要求することなく、その手柄を与えた神に感謝するとう謙虚な人物であったことが窺えます。 ちなみに、アブラハムが戦いに参加したのは、これが最初で最後でした。

(旧約聖書 創世記 第14章1節~24節)

07/16

神から4度目の祝福を受ける

あなたの子孫は星の数のように多くなる

戦争に勝利し、カナンに戻ったアブラハムは4度目の祝福を受けます。 神が顕れて、「アブラムよ、心配することはない。わたしがおまえを守り、大いに祝福してやろう。」とアブラハムに告げます。

するとアブラハムは「神よ、私に何をくださろうというのです。私に息子がないのはご存じでしょう。それでは、どんなに祝福していただいても、何の役にも立ちません。息子がいないので、下僕の息子が私を継ぐことになります。」とこたえました。すると、神がアブラハムを外に連れ出し、満天の星空の下に立たせて言われました。「あの星をぜんぶ数えられるか? おまえの子孫はちょうどあの星のように数えきれないほどになる。」アブラハムは神様を信じ、神はアブラハムの信仰を認められました。


Old Testament

これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」アブラムは言った。「主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは続けて言った。「あなたは私に子孫を与えてくださいませんでした。ですから家の僕が跡を継ぐのです。」すると、主の言葉が彼に臨んだ。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなた自身から生まれる者が跡を継ぐ。」主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

旧約聖書/創世記15章1節~6節(日本聖書協会共同訳)

08/16

アブラハムの献祭

献祭の失敗

神はアブラハムに、牛と羊と鳩を2つに裂いて捧げるように命じました。アブラハムは言われたとおりにしましたが、鳩は裂いていませんでした。すると、荒い鳥(猛禽)が死体の上に舞い下りて来たので、アブラハムは、追い払いました。やがて夕方になり、アブラハムに眠りが襲いました。耐えられないほどの恐怖感、何か恐ろしいことが起きる前兆のような、深いやみが忍び寄ってきたのです。その時、神様の声がしました。「おまえの子孫は四百年のあいだ外国で奴隷にされ、苦しめられるだろう。」

供え物を2つに裂く理由

これは、創世記の15章に記録されている内容です。アブラハムの時代、神に万物を捧げるとき、2つに裂いて捧げる必要がありました。人間始祖の失敗により、人間や万物は神とサタン(善と悪)の二人の主人を持つようになってしまいました。人間や万物は、善と悪を兼ね備える中間位置にあるのです。神は中間位置にある人物を中心に摂理を進めることはできませんし、中間位置にある万物を受けることもできないのです。そのため、神に供え物をするときには、善悪を分立させるために、必ず2つに裂きます。そして、善の側に裂かれたものを神が受けるのです。サタン先行の掟により、2つに裂かない場合は、サタンの取り分しかなく、サタンのみに捧げたことになってしまい、神が受け取ることができなくなるのです。 アブラハムは捧げものをするとき、鳥は裂きませんでした。 その失敗のゆえに、アブラハムの子孫(ヘブライ人)は400年間、エジプトで奴隷として酷使されることになりました。

400年間は善悪分立期間

ここで400年とは、神がノアから信仰の祖であるアブラハムを探し立てるために、神が人類救済の摂理を進めながら聖別してきた期間(善悪分立期間/サタン分立期間)です。アブラハムの失敗により、この400年間はサタンに奪われることになりました。そして、神の選民であるイスラエル民族が、サタン側を象徴するエジプトから400年間虐待をうけることになったのです。そして、エジプトでの苦役400年間は、次の摂理の中心人物であるモーセを立てるための善悪分立期間となるのです。

神とアブラハムの契約(5度目の祝福)

神はアブラハムの子孫に、エジプト川からユーフラテス川に至る地を与えることを約束し、さらにその周辺の民族の国も与えることを約束しました

Old Testament

こうしてその日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまでの、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える。

旧約聖書/創世記15章18節~21節(日本聖書協会共同訳)

09/16

アブラハムの子イシュマエルの誕生

カナンに定住し、神から祝福を授かり、民族の父となるはずのアブラハムには、年老いても子を授かることはありませんでした。 神はアブラハムに子孫が生まれることを約束したのですが、妻サラは80歳を過ぎており、とても子を生める年齢ではありませんでした。 そこでサラは、エジプト人の召使い・ハガルに、アブラハムの子を産ませようとしました。 「ハガルを、あなたの側女にしてください、もしかしたら、彼女があなたの子を産んでくれるかもしれません。(創世記 16:2)」 アブラハムの時代の慣習として、一族の長は、複数の妻と多くの側女を持つことができたのです。 アブラハムは彼女の願いを聞き入れ、ハガルと関係を持つとすぐにみごもりました。 しかし、ハガルは子を持つことで、アブラハムの本妻であるサラを見下すようになりました。

サラはハガルが自分のことを軽蔑しているとアブラハムに訴えたため、2人の関係は悪化していきました。 すると、今度はサラがハガルに対して辛くあたるようになったので、ハガルは耐えきれず、荒野へ逃げ出してしまいました。 荒野の泉のほとりで、一人泣くハガルに天使が降りてきました。 「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい(創世記 16:11)」

その後、ハガルは、アブラハムのもとに帰り、やがて男の子を生みました。そして神の啓示のとおり、イシュマエルと名づけました。

10/16

神とアブラハムの契約(6度目の祝福)

アブラハムが99歳のとき、神が再び現われ、永遠の契約を交わします。神は、アブラハムを民族の父とすることのほかに、カナンの聖地を彼とその子孫に与え、自らは、彼ら一族の神であることを約束しました。そして、神は、この永遠の契約のしるしとして、一族の男か子に割礼(性器の包皮の皮を切り取ること)を命じました。これは、今でもユダヤ人にとっては、重要な儀式となっています。

Old Testament ▼
Old Testament

アブラムが九十九歳になったとき、ヤハウェはアブラムに現れて言われた。「わたしはエル・シャダイ(全能の神)である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、わが契約をわたしとあなたとの間に置き、あなた(の子孫)を限りなく増やそう。」
アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。
わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与えよう。わたしは彼らの神となろう。」

旧約聖書/創世記17章1節~8節

パレスチナ問題

神とアブラハムの契約のとおりに、アブラハムの子孫は繁栄し、紀元前1095年には、国ができるまでになりました。ヘブライ王国の頃に全盛をきわめましたが、ソロモン王(※1)の死後、内紛が起こりイスラエル王国(北イスラエル)とユダ王国(南ユダ)に分裂してしまいました(紀元前975年)

分裂後、イスラエル王国はメソポタミアのアッシリアに滅ぼされ(紀元前722年)、ユダ王国もメソポタミアのバビロニアに滅ぼされます(バビロン捕囚/紀元前588年)

その後も国家を再建しますが、ローマ軍によって完全に都市を破壊され(紀元後70年頃)、ユダヤ人は追放され世界中に散っていきました(※)

※これを「ディアスポラ(離散)」といいます。

そして、ユダヤ人は、1900年近くに及ぶ流浪と迫害の末、1948年5月14日、パレスチナ(カナン)に地に、悲願のユダヤ人国家「イスラエル」ができました。しかし、そのことが理由で、現在も解決していない「パレスチナ問題」が生じてしまいました。

パレスチナ問題は、端的に言えば「アラブ人とユダヤ人との間の領土問題」ですが、現実には世界各国を巻き込んでいる国際紛争です。ユダヤ人にとっては、パレスチナ(カナン)は「神との契約の地」。パレスチナ問題の根底には「神とアブラハムとの契約」があると言われています。

11/16

イサクの誕生の啓示

さらに神の啓示は続きます。今までアブラム(地位の高い父」の意)、サライと名乗っていた2人にアブラハム(「国々の父」の意)、サラ(「王女」の意)と改名するよう命じました。そして将来、サラに男の子を授け、その血筋から、多くの王が誕生することが伝えられました。

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Old Testament

神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」

旧約聖書/創世記17章15節~16節

まさか90歳のサラに、子供などできるはずもない、と思ったアブラハムはイシュマエルを祝福するよう神に伝えます。すると神は「サラが子を産むので、その子をイサク(「笑い声」の意)と名付けなさい」と命じました。

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神は言われた。「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。

旧約聖書/創世記17章19節

アブラハムは、マムレの樫の木のそばに天幕(テント)を張って生活していました。夏のある暑い日の午後、天幕の入り口に座っていると、三人の男がやって来ました。アブラハムは、すぐさま立ち上がり、走って行って、喜んで出迎えました。木陰で休んでいただくよう伝えます。そして、足を洗う水を持ってきて、パンケーキやチーズとミルク、子牛あぶり肉でもてなしました。

客が食事をしている間、アブラハムはそばの木の下に立っていました。すると、三人のうちの一人(神)が「来年の今頃、私がまた来る時、おまえとサラの間に、男の子が生まれているだろう。」と言いました。天幕の中で一部始終を聞いたサラは「老いてしまった私に子が産めるはずなどあるだろうか。主人も年を取っているのに。」と心の中で笑っていました。すると、神はアブラハムに言いました。「どうしてサラは笑ったのか。『私みたいな老婆が子どもなど産めない』などと笑うのか。神にできない事は何もない。おまえに言ったとおり、来年の今ごろまた来る時には、必ずサラに子供が生まれるようにしよう。」サラはあわてて否定しましたが、神にはサラの心の内がわかっていました。

12/16

ソドムとゴモラの滅亡

死海のほとりのソドムとゴモラは、繁栄した大きな町でした。しかし、それゆえに人々は享楽に身を委ね、男色がはびこるなど、生活は堕落しきっていました。その悪徳と罪の深さに神は怒り、2つの町を滅亡させよう計画しました。アブラハムがこのことを知ると大いに慌てました。ソドムには甥のロトとその家族が住んでいたからです。

神がソドムとゴモラの人々の罪について語ると、アブラハムは神に質問します。

  • アブラハム「神は、正しい裁きをなさるかたではないですか。もしソドムの町に、正しい者が50人いたとしても、その50人のために、町を赦さずに、滅ぼされるのですか」
  • 「正しい者50人のために、わたしは町を滅ぼさない」
  • アブラハム「もしかしたら、正しい者は20人しかいないかも知れません」
  • 「その20人のために町を滅ばさない」
  • アブラハム「神よ、お怒りにならずにお聞きください。10人でしたらどうされますか」
  • 「その10人のために町を滅ばさない」

結局、この町に、正しい者は10人もいませんでした。神はついに、この退廃に満ちた町を滅ぼすために使者をつかわし、ソドムとゴモラを滅ぼしました。ソドムとゴモラの町の滅亡は、紀元前1735年頃と推定されています。

Column

救われたロトと二人の娘

アブラハムの甥のロトの一家は、事前に神からソドムを滅ぼすことを告げられていました。天使たちがロト一家を救うため、ロトと妻、二人の娘の手を引いて町外れに避難させます。すると、神は天から硫黄の火を降らして、ソドムとゴモラを滅ぼしました。せっかくソドムから逃げ出したロト一家ですが、神が「逃げる途中、決して後ろを振り返ってはならない」と告げたにもかかわらず、ロトの妻は後ろを振り返ったため塩の柱になってしまいました。結局、ロトと二人の娘だけが救われました。

13/16

王アビメレクから万物を奪う

カナンが飢饉に襲われたときアブラハムはエジプトに避難し、妻サラを妹であると告げ、エジプト王のもとに召され、エジプトの王のものになる直前に神の計らいによって、救われ、万物をとともにサラを取り戻しました。これと同じような出来事が、もう一度、ペリシテの王アビメレクにもあったことが聖書(創世記第20章)に記録されています。

 エジプト王アビメレク王
アブラハムの立場
サラの立場の立場
起こった災いファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気(伝染病)にかからせた。家のすべての者の胎を、かたく閉ざされた。
奪った万物羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなど羊、牛および男女の奴隷、銀千シケル、土地
14/16

イサクの誕生

イサクの誕生

イサクの誕生

アブラハムが100歳になったとき、神の啓示のとおり息子が生まれました。アブラハムにとっては、次男になりますが、本妻サラの最初で唯一の子です。そして神の命令のとおり「イサク」と命名し、8日目に神との契約を守るために割礼の行いました。

15/16

ハガルの追放

アブラハムの長男イシュマエルも、次男イサクも、アブラハムにとってはどちらも自分の息子ですが、妻サラにとっては、イシュマエルは邪魔な存在に感じるようになりました。ある日、イシュマエルが、イサクをからかっているのを見たサラは、夫に、ハガルとイシュマエルの母を母子ともにを追い出すように訴えました。 アブラハムは悩みましたが、神の命令で妻の要求に耳を傾けました。アブラハムはハガルに、パンと水の入った革袋を渡して、立ち去るように命じました。

荒れ野をさまよったハガルは、哀れな息子から離れて、声を立てて大泣きをしていました。その様子を見ていた神は、「大事な我が子をしっかりと抱きしめなさい。わたしは必ずあの子を大きな国民とする」と励ましました。 荒れ野で育ったイシュマエルは、やがて弓射る強い者となり、母の故郷エジプトから妻を迎え、12人の子どもに恵まれました。イスラームの伝説によると、このイシュマエルの子孫がメッカに住み、イスラム教の始祖であるムハンマドとなったといい伝えられています。

16/16

イサク献祭

 

念願の末、やっと生まれたイサクでしたが、危うく命を落とすかもしれない試練が待ち構えていました。

ある日、神がアブラハムに命じます。「あなたの愛するイサクを連れてモリヤの山へ行き、完全に焼き尽くして捧げ物としなさい」最愛の息子を生贄として神に捧げよという、なんともむごい犠牲を強いたのです。

親に子どもの生命は、自分の命より大切です。ましてやようやく授かった子に手をかけられるはずがありません。代われるものなら代わりたいと思ったことでしょう。信仰の篤いアブラハムは大いに困惑しましたが、神の命令に従うことを決意しました。翌朝には祭壇で燃やすたき木を割り、ろばに鞍をつけて、イサクに薪を背負わせて、山を登りました。「お父さん、捧げ物の子羊はどこにいるのですか」とイサクが父に問います。「きっと神が供えてくださるだろう」とはぐらかします。

命じられた場所に到着すると、アブラハムは祭壇を築き、たき木を並べました。イサクを縛り上げ、祭壇のたき木の上に横たえました。そして、刀を握りしめ、その手を頭上高く振りかざし、イサクをめがけて刀を振り下ろそうとした、その時、天使の声が響きました。 「その子に手をかけてはならない。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、わかったからだ。あなたは自分の独り子である息子すら、わたしに捧げることを惜しまなかったのだから」 そのとき、茂みのなかに1匹の雄羊が木の枝に角を引っかけていました。アブラハムは、イサクの代わりに、その雄羊を神へ捧げました。

この「イサクの献祭」は聖書の中でもよく知られている物語です。最愛の息子でさえ、神に捧げようとしたアブラハムの神への信頼と篤い信仰。これこそ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三宗教に共通して「信仰の父」と呼ばれる所以です。

アブラハムはその地を「アドナイ・イルエ(神様は用意してくださるの意)」と呼びました。そして現在でも、そう呼ばれています。

このあと、天使が再び、天から呼びかけました。「おまえはよくわたしの命令に従った。愛する息子をさえ、わたしにささげようとしたのだ。神としてわたしは誓う。大いにおまえを祝福し、おまえの子孫を増やそう。空の星、海辺の砂のように、数えきれないほどに。おまえの子孫は敵を征服し、世界中の国々に祝福をもたらす。それはみな、おまえがわたしの試練に勝利したからだ。」

こうして、アブラハムたちは、ベエル・シェバにある天幕へ向かいました。

Column

マクペラの洞窟

 

アブラハムの妻(イサクの母)であるサラは、やがて病気となり、ヘブロンの地で127歳で他界しました。アブラハムは銀400シケルで土地を買い、サラを葬りました。そこは「マクペラの洞窟」とよばれ、その後、アブラハム、イサクとリベカ、ヤコブとレア3代の夫婦が葬られたと伝えられています。今もヘブンの中心地にありますが、この遺跡の上に、イスラームの寺院が建てられています。


〔参考・出典〕
日本聖書協会「旧約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/wikipedia/ウェブサイト「BokerTov」/岩波書店「旧約聖書I 創世記」/wikipedia「アブラハム」