蔓延る偶像崇拝イスラエル民族の背信
十戒で禁じられた偶像崇拝
今から約4000年前(紀元前1900年頃)、神はアブラハムにカナンの地を与えることを約束されました。しかし、アブラハムの燔祭の失敗により、エジプトで400年間の苦役を受けることになりましたが、その間、アブラハムの子孫(イスラエル民族)は大いに増えました。
紀元前1500年頃、イスラエル民族は、モーセにより、エジプトから導き出され、約束の地カナンに向かいました。カナンに向かう途中、シナイ山で、モーセは神から十戒(律法)を授かりました。十戒には、「神は唯一」であり、「偶像を作って、崇拝してはならない」という戒めが含まれています。
十戒(一部抜粋)Ten Commandments
わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
ペリシテ人の侵攻
その後、モーセの後継者であるヨシュアを中心にイスラエル民族は団結し、先住民族から約束の地カナンの奪還に成功しました。カナンでは、イスラエル民族は12の部族に分かれて、それぞれの地を分割統治しました。そして、士師と呼ばれる指導者を中心に、定着するようになりました。
バアル神
しかし、平穏な日々は続きませんでした。ペリシテ人と呼ばれる他民族の侵略に脅かされ、時には侵攻を受けて、服従していたのです。ペリシテ人によって苦しめられる日々を送りながら、イスラエル民族は国を治める王を立てることを求め始めました。ペリシテ人の侵攻とともにイスラエルに偶像崇拝(ペリシテ人の神)がもたらされるようになりました。
※ペリシテ人=紀元前13~12世紀ごろ、カナン(パレスチナ)南部の地中海沿岸地域周辺に入植した民族。バアルやゼブブなどの神を崇拝(偶像崇拝)していました。鉄器をもち好戦的でイスラエル民族を圧迫していました。
蔓延る偶像崇拝
紀元前1000年前後にイスラエル王国が建国され、最初の王サウルが即位しました。その後、ダビデ王を経て、三代目のソロモン王のときには、王自身が偶像崇拝して、神(イスラエルの神/ヤハウェ)に背いてしまいました。そのため、イスラエル王国は北イスラエルと南ユダに分裂する運命となりました。
ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。
ソロモン王が偶像崇拝した理由
ソロモン王には、700人の王妃と300人の側室(=そばめ/本妻以外にそばに置く妻。めかけ)がいました。その中には、エジプトのファラオの娘の他、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など…、たくさんの外国人女性が含まれていました。このような異国の女性たちを愛することによって、ソロモン王は、彼女たちの崇拝する異教の神々に馴れ親しんでしまったのです。
イスラエル分裂後も、イスラエル民族たちは、偶像崇拝を止めませんでした。イスラエル民族の神(唯一神/ヤハウェ)から離れ始める度に、国家も衰退の道をたどり始めました。神はその度に預言者を遣わし(四大預言者と十二小預言者)、預言者たちは、悔い改めて神様に立ち返るように警告を与えられたのです。しかし、イスラエル民族は偶像崇拝をやめませんでした。そこで、神は特別預言者エリヤを遣わし、偶像崇拝を一掃する摂理をされました。
※四大預言者=イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル
※十二小預言者=ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキ
旧約聖書のすべての預言者は、イスラエルの衰退と滅亡をイスラエル民族の神(ヤーウェ)を捨てて、バアル神崇拝にうつつを抜かした結果であると断罪しています。そして、このような亡国史観が旧約聖書を一貫しています。
日本聖書教会「旧約聖書」/河出書房新社「図説 聖書物語 旧約篇」