神の存在日本人の精神にも息づいている
神は、目に見えず、認識することもできないので、神の存在を信じることもできない方が少なくないと思います。日本では、宗教に対して、心の弱い人、経済的に貧しい人が神にすがっているだけというイメージを抱いておられる方も少なくないようです。また、新興宗教やイスラームの一部の過激な行動等が報道されることもあるため、宗教に対し、良くない印象を持たれ、信者が白眼視されてしまう傾向もあるようです。
また、神の存在を漠然と信じておられる方でも、特定の宗教に属したり、信仰は持たない方も多いようです。日本は、中国に次いで世界で2番めに無宗教者の人口が多い国です。そのような環境で育った日本人は神の存在を信じることができないのも無理もないことかも知れません。
しかし、海外に目を向ければ、世界人口の84%(※)が信仰する宗教を持っています。世界的規模でみると、宗教を持つことは、ごく普通のことのようです。つまり、世界の8割以上の人々は神の存在を認めて生活しているのです。
※1:ピュー・リサーチ・センター「世界宗教動向に関する調査」- 2012年12月18日/世界の宗教の信仰者数=約58億人
日本人の心の奥に存在する神
米国のシンクタンク(ピュー・リサーチ・センター)の調査によると、日本で宗教を信仰している人は43%(=約7,200万人)。日本は無宗教者の人数が中国に次いで、多くなっています。
これは、日本では、神道の行事を日常生活に取り入れているため、特に宗教を信仰しているという自覚を持っている人が少ないことが理由の一つとして考えられます。
例えば、赤ちゃんが誕生したときや、七五三にはお宮参りをして、お祝います。 お正月には、初詣をして、健康や長寿、安全、繁栄などを神にお祈りします。 家や会社の事務所には、神をまつるための神棚(※)があり、お米やお水、お塩、お神酒、お花や榊(さかき)、柊(ひいらぎ)、笹など葉、果物、お菓子やなどをお供えします。
※神棚は主に神道の神をまつるための棚です。家庭や会社にあるいわば「小さな神社」です。
このように、日本人は神に頭を下げ、お供えものをし、お祈りしたり、お祭りをしたりする習慣・文化があるのです。
伊陸天神祭(山口県柳井市)
神棚の供え物
ここで、もし神が存在しないのであれば、存在しないものに頭を下げ、存在しないもののためにお供え物をし、存在しないもののためにお祭りをする…。このような行為は、とても馬鹿げたことではないでしょうか。
このような習慣・文化を見ると、日本人は、人間の感覚では感ずることのできない超自然的な存在を心のどこかで認識しているのではないでしょうか。日本人は「神が存在しない」と思っておられる方も少なくありませんが、そのような方でも心の深層では、神を認識しておられるのかも知れません。
神道しんとう
神道は、山や川、森、岩、動物、気象現象など、自然現象を含めた万物に宿る「八百万の神々(やおよろずのかみがみ)」を崇拝する日本人の暮らしの中から生まれた民族的・伝統的な宗教です。そのため、神道は他の宗教と違い、教祖や明確な教義、経典、戒律などもありませんが、奈良時代にできた「古事記」「日本書紀」には、多くの神々の系譜や物語が収められており、神道と関係が深いと言われています。神道の行事には、初詣や厄除、初宮参りや七五三、神前結婚式や地鎮祭(じちんさい)などがあり、日本人の暮らしにとけ込んでいます。
世界では8割以上の人が神を信じている
世界に目を向けると、さまざまな宗教が存在します。三大宗教と言われる「キリスト教」、「イスラーム」、「仏教」をはじめ、「ヒンドゥー教」、「ユダヤ教」などがあり、世界人口の約84%(58億人)が宗教の信者(※2)です。
なお、キリスト教、ユダヤ教、イスラームでは、同じ神(唯一神)を崇めています。これら3つの宗教の神は、日本の「八百万の神々」や「苦しい時の神頼み」の神とは異なります。
お祈りするヒンドゥー教徒(写真:wordpress.com)
お祈りするイスラーム(写真:cultureledger.com)
キリスト教の礼拝(写真:awfumc.org)
そして、人々は多額の費用をかけて、神殿や聖堂、教会、モスクなどを世界中に建設し、数千年間もの間、神を信じ、お祈りや断食などを続けてきました。もし、神がいないなら、このような行動は、とても馬鹿げたことではないでしょうか。
しかし、人間は、そこまで愚かではないと思います。人間は心の中で、五感を超えた存在を感じているからこそ、神を尊び、祀り、お祈りをするのではないでしょうか。
※2:ピュー・リサーチ・センター「世界宗教動向に関する調査」- 2012年12月18日。キリスト教(21億人)、イスラーム(16億人)、ヒンズー教(10億人)、仏教(5億人)など
カメラの構造と眼の構造
カメラはこの世界を写すためにあります。同じような構造と機能、目的を持った器官を人間が持っています。それは、私たちがこの世界を見るための2つの眼です。眼には、光の量を調節する機能(※1)、ピントを合わせる機能(※2)、色や形を感じ(※3)、その情報を脳に送る機能など、カメラとそっくりです。
虹彩は、カメラのレンズの絞りに相当し、目に入ってくる光の量を調整します。水晶体は、レンズに相当し、毛様体はピント合わせのリングに相当します。そして、網膜はデジカメのCCDやCMOSなどの画像素子に相当し、網膜には片方の眼だけで1億以上の視細胞があります。例えると、眼は「1億画素(両目で2億画素)」の性能です。ちなみに、最高級のデジカメでも1000万画素程度です。
※1:虹彩(カメラのレンズの絞りに相当)
※2:水晶体(レンズに相当)や毛様体(ピント合わせのリングに相当)
※3:網膜(デジカメのCCDやCMOSなどの画像素子に相当)
カメラはこの世界をレンズを通して情報を受け取り、その情報をメディアに記録する(写す)という目的を持っています。眼も同じように、この世界を水晶体を通して情報を受け取り、その情報を脳に送るという目的を持っています。
人間の設計者
ところで、カメラの製作するためには、技術者が設計図を作る必要があります。そして、その設計図に基づいて、職工さんたちが手や機械を使って組み立てます。部品を置いておいたら、自動的にカメラ組み立てられてしまったということはあり得ません。
人間の眼はカメラよりもはるかに精密にできており、科学技術が進んだ現在でも眼を作ることはできません。そのような精密で高度な機能を持つ眼が、原子の海で有機物が自動的に結合して、出来てしまうとは考え難いことです。
自然界には、高度な技術と知恵を持った力が存在し、その自然の力が設計図(遺伝子・DNA)を作り、組み立てたと考えることは、ごく自然なことではないでしょうか。眼だけでなく、他の器官や人間の存在そのもの、自然界、宇宙…これらは皆、高度な仕組みで出来ています。
これら自然の力、万物の力の源となる原因を、宗教では「神(創造主)」と呼び(※)、哲学や科学では「(宇宙の)第一原因」、「(宇宙の)根本原因」などと表現されます。
※キリスト教では、神は「父なる神」、つまり、「人間の生みの親」という位置づけになっています。
人間の設計図(DNA)
ところで、人間の設計図(DNA)が単なる自然界の偶然で作られるとは考え難い次のような論証があります。
DNAはヌクレオチドと呼ばれる物質からできています。そのヌクレオチドは64種類あり、それが400個集まるとDNAになります。しかし、適当に組み合わせても生命になりません。生命のDNAになる組み合わせは、多く見積もっても2.5×1063(=25に0が62個付いた数)になります。すべての組み合わせパターンを数学的に計算すると3×10724(=3に0が724個付いた数)になります。
よって、ヌクレオチドが適当に組み合わさって、それが1つの生命のDNAになる確率は、1.2×10661分の1となります。これは10の661乗に1回程度しか起こらない確率(※)ですが、科学の世界では(限りなく)ゼロに等しく、普通は起こらないこととして片付けられるような数です。
※ジャンボ宝くじを毎回1枚買ったとして、94回連続して1等が当選するような確率です。
確率的に見ても、(人間や)眼が自然に出来上がるということは考えられないことです。技術や知恵を持った力、すなわち、神のような存在があって、目的を持って生命をつくられたと考えることの方が無理のない考え方だと思います。
現在、私たちが見ている宇宙は、神のような、何らかの手によって作られた設計図にしたがって創り出されたものだ。
引用:岩井國臣氏「霊魂の哲学と科学」
神の存在論証/ニュートンの逸話
次のお話は、イギリスの科学者ニュートンが無神論者の友人に神の存在を認めさせたという逸話です。
ある日、ニュートンは太陽系の模型を腕ききの機械工に作らせました。その太陽系の模型は、手動のハンドルを回すと、歯車とベルトにより、太陽を中心とした、各惑星が実物そっくりに軌道上を回る仕掛けになっている精巧なものでした。それは、部屋の大きなテーブルの上に置かれていました。
ある日、無神論者の科学者の友人がニュートンを訪ねました。友人は模型を見るとすぐにそれを操作し,その動きの見事さに感嘆の声を上げました。
友人「実に見事だ!これは誰が作ったのかね?」
ニュートン「誰が作ったのでもないさ。材料を置いておいたら、ひとりでにこんな形に出来たのさ。」
友人「馬鹿にしないでくれ!もちろん誰かが作ったのに決まっているではないか。その人はなかなかの天才だな。」
ニュートン「これは、壮大な太陽系を模して作った単なる模型でしかない。太陽系を支配する驚くべき法則は、君も知っているはずだ。それを模して作ったこの単なるおもちゃが、設計者も製作者もなく、ひとりでにこんな形に出来たと言っても、君は信じない。」
ニュートン「ところが君は、この模型よりもはるかに複雑な本物の太陽系が、設計者も製作者もなく出現したと言う。いったいなぜそんな結論になるのか説明してくれたまえ!!」
こうしてニュートンは、宇宙の背後に、知性を有する偉大な創造者がおられることを、友人に得心させ、友人は神の存在を認めるようになったとのことです。
※この逸話はニュートンではなく、ドイツの学者アタナシウス・キルヒャーの逸話とする説もあります。
太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる
神の数式
神と科学は対立するようなイメージを持つ場合がありますが、過去の多くの科学者たちは神の存在を信じている有神論者です。ただ、科学に「神」や「創造主」の概念を取り入れてしまうと、科学が学問として成立しなくなってしまうために、科学では排他的な概念となっているのです。しかし、現実の理論物理学の成果を見ると、今や人類は「神」の領域に迫りつつあるというのも事実のようです。
最近の科学では、ミクロの物質から、極大の宇宙の果てまで、この世のすべての現象(出来事)を一つの数式で表す研究が最終段階に入っています。それは「神の数式」と呼ばれ、ノーベル物理学賞を受賞した科学者をはじめ、世界中の理論物理学者が数式の完成に向けて、研究を続けています。
石版に刻まれた「神の数式」
理論物理学者たちの100年にわたる闘いの金字塔といわれている
ヨーロッパ合同原子核研究機構(CORN)/スイス
神の数式の研究者の一人であるハーバード大学のカムラン・バッファ教授は「なぜ、我々は存在するのか、この宇宙で生きる意味は何なのか。私たちはその答えを探しているのです。より哲学的な問いかけが、これからも続きます。」と言っておられます。つまり、科学が解明する対象は、物質世界だけでなく、哲学的分野をも解き明かす段階に入っているといえるでしょう。
神の数式は、「宇宙の設計図」とも呼ばれ、宇宙の創成の瞬間も解き明かす壮大な数式と言われています。つまり、「宇宙がなぜ生まれたのか。宇宙はどこから来たのか」を解き明かす「最後の理論」です。
宇宙の神秘を解明する神の数式は人類の飽くなき探究心の証といえるでしょう。そして、科学の行き着くところは、宇宙の始まり、そして神の存在なのかも知れません。
人間が完璧な理論を発見できるなら、その理論は人間の理性の最後の勝利になるだろう。その時、人間は神の心を知ることになるだろう
「ホーキング、宇宙を語る」
科学者たちの言葉
科学と宗教は対立しているようなイメージがありますが、必ずしもそうではないようです。多くの科学者は、宇宙や自然を探求し、知れば知るほど、その高度な仕組みに感嘆し、その崇高な美しさ、完全性などから、神の存在を悟り、さまざまな言葉を残しています。
数学は神が宇宙(の設計図)を書くためのアルファベットだ。Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全な方であられる。
宇宙は混沌(カオス)から生まれるのではなく、神によって創造されたに違いない。
自然は神が創造し、動かしている。自然は神が書いた本のようなもので、そこに神の言葉や意志が隠されている。科学の役目は宇宙という神の作品の美しさを解き明かすことであり、そのためには数学が仲介として最適なものである。
※科学・医学・哲学を巡って「ヨハネス・ケプラーにとっての科学」より
科学を真剣に追究している者は誰であっても、宇宙の法則の中に神の霊が明らかに存在していることを確信するようになるのです。神の霊は人間の霊をはるかに凌いでおり、神の霊を前に人間は自らの力がとても小さいことを知り、謙虚にならざるを得ないのです。
科学的な証拠が示すところによると、単細胞の原生動物から人間に至るまで、根本的に異なる種類の生物体が最初に地上に現われた時はいつも、そのすべては完成した形で、器官や組織も全部そろって完全に機能していた。この事実から必然的に引き出される結論は、地上に生命が現われる前から、何らかの理知がすでに存在していたということである。
YouTube「神様について」周藤健氏/ピュー・リサーチ・センター「世界宗教動向に関する調査」/中経出版「池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」/WikiPedia「神の存在証明」/NHKスペシャル 「神の数式 第1回 この世は何からできているのか~天才たちの100年の苦闘~」、「神の数式 第2回 宇宙はどこから来たのか~最後の難問に挑む天才たち~」/科学・医学・哲学を巡って「ヨハネス・ケプラーにとっての科学」/岩井國臣氏「霊魂の哲学と科学」