聖書と歴史の学習館

ユダヤ教世界最古の宗教

ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁
嘆きの壁 Western Wall
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ユダヤ教の成立

ユダヤ教の聖地エルサレム「嘆きの壁」

熱心に祈りを捧げるユダヤ教信者 ユダヤ教の聖地エルサレム 嘆きの壁

ユダヤ教は、ユダヤ人(※1)が信仰する民族宗教で「世界最古の宗教」といわれています。ユダヤ人の歴史は、紀元前20世紀頃のアブラハムが起点となりますが、ユダヤ教は、紀元前13世紀(推定:紀元前1280年頃)モーセが神から「十戒」の石板を授かったときが起点とされています。

旧約聖書によると、アブラハムの息子イサクの息子がヤコブであり、その子孫がユダヤ人です。ヤコブは神から「イスラエル」という名を授かったため、ユダヤ人は「イスラエルの民」ともよばれます。彼らは、神からの啓示により、エジプトへ行き、400年の苦役を受けることになりました。

イスラエルの民が奴隷として、エジプトでの苦役(迫害)を受けるようになってから400年後、モーセが現れました。モーセは数々の奇跡を起こし、エジプトの王(ファラオ)を屈服させ、民を苦役から解放させることに成功しました。(※2)

モーセの十戒

「モーセの十戒」 レンブラント・ファン・レイン(1659年制作)アルテ・マイスター絵画館

モーセはイスラエルの民を率いて、エジプトから脱出し、神との約束の地「カナン」へ向かいます。その途上のシナイ山で、神から2枚の石板に刻まれた「十戒」を授けられました。神から授かったこの「十戒」を遵守するようになったことが、ユダヤ教のはじまり(起源/ルーツ)といわれています。

なお、「十戒」は、ユダヤ教だけでなく、キリスト教やイスラム教にも取り入れられています。

ユダヤ教はキリスト教とイスラーム(イスラム教)を生む母体(ルーツ)となった宗教です。つまり、ユダヤ教から、キリスト教とイスラム教が誕生しました。そのため、信仰する神の呼称は違いますが、同じ唯一神を崇めています。

※1:ユダヤ人:本来は、アブラハムの孫であるヤコブの子孫がユダヤ人です。現在は、ユダヤ人(の母親)から生まれた子の他、ユダヤ教を信仰している人もユダヤ人とみなしています。聖書の中では、ヘブライ語を話していたことから「ヘブライ人」、ヤコブ(イスラエル)の子孫であることから「イスラエルの民」などの呼称で記録されています。

※2:紀元前1513年と言われています。

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Old Testament

主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。

旧約聖書/創世記15章13節~14節(新共同訳)

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ユダヤ教の概要

性格民族宗教/一神教
信者数約1400万人
成立時期紀元前13世紀頃(紀元前1280年頃)
創始者モーセ
信仰対象神(唯一の神 "ヤハウェ")
聖典ヘブライ語聖書
タルムード
儀礼・戒律安息日、割礼、食事のタブー(コーシェル)など
特徴選民思想、契約(※)
行事過超祭、仮庵祭、律法祭
信者のための施設シナゴーク
聖地エルサレム(嘆きの壁)
おもな宗派正統派、保守派、改革派

※ユダヤ教は神と人との契約によって成り立っている宗教で「契約の宗教」といわれています。旧約聖書の「創世記」に記されている「アブラハムと神との契約」の他、大洪水後の人類のあり方を示した「ノアの契約」、「出エジプト記」に記されている「シナイ契約」、「詩篇」にある王朝の将来を約束する「ダヴィデの契約」などがあります。


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ユダヤ教の教義

ユダヤ教では、ユダヤ人こそ神に選ばれた民族であり、神の教え(律法・戒律・教義など)を遵守し、実践していれば、神により守られ、やがてメシア(救世主)が現れ、人々は(悪や苦しみ、矛盾などから)救済され、神の国が実現することが説かれています。ユダヤ人(イスラエル人)が神に選ばれ、神と契約を結んだ特別な民族であるという考えを一般に「選民思想」とよんでおり、ユダヤ教の根底にあります。

信者の数は約1400万人(※)。そして、神との契約にもとづいて割礼や礼拝といった戒律を長年守り続けています。なお、神との契約内容は、ユダヤ教の聖典である「トーラー」や「タルムード」に記述されています。

トーラーは、ヘブライ語聖書(=キリスト教の旧約聖書に相当)の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5つの書のこと。これらは、モーゼの五書、律法、ペンタチュークなどとよばれています。ヘブライ語聖書(=キリスト教の旧約聖書に相当)は、3つの部分に分けられており、それぞれ、Torah(トーラー:モーセ五書)、Nevim(ネイビーム:預言者)、Ketubim(クトビーム:諸書)と名付けられています。この頭文字(TNK)から、ヘブライ語聖書は「タナハ」とよばれています。また、朗読するものという意味の「ミクラ」とよばれることもあります。

※ピュー・リサーチセンター(2012年12月18日)


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メシアを待望するユダヤ教徒

イエス・キリストの時代には、ユダヤ人たちは、ダビデ王の子孫からメシア(救い主/ユダヤ人の王)が現れて、イスラエルを中心に「神の国」が実現すると信じていました。そして、ユダヤ人は神が約束したメシアの出現を待望しながら、律法を遵守した暮らしを続けていました。

しかし、イエス・キリストが現れたときには、メシアとして信じることができず、十字架で殺害してしまいました。今でも、ユダヤ教では、イエス・キリストのことをメシアと認定しておらず、現在もメシアの到来を待ち望んでいます(※)

※ただし、ユダヤ教信者の中には、ユダヤ人としてのアイデンティティーを保ちながら、イエス・キリストをメシアとして信じる「メシアニック・ジュー」とよばれる人たちもいます。

Column

嘆きの壁The Western Wall

紀元前965年頃、イスラエル王国の首都エルサレムのモリヤの丘(=イサク燔祭の場)にソロモン王が神殿を建てました。神殿には神がモーセに与えた律法(十戒)の石板を収めた「契約の櫃(ひつ)」が安置され、聖地となりました。最初の神殿は前586年に破壊され、前515年頃に、第2神殿として再建されました。そして紀元前20年には、ローマ帝国がユダヤの王に任命したヘロデ王により、大改築されました。80年余りの歳月をかけて完成したヘロデ王の神殿は、当時の歴史家が「誰も見たことも聞いたこともない、絶美の建物」と称賛する壮麗な建造物だったとのこと。しかしその数年後の紀元70年、ローマ軍によって破壊されてしまいました。神殿の破壊とともに、ユダヤ人はエルサレムへ立ち入ることさえ、禁じられ、その後2000年近くにわたって世界に離散することになりました。「嘆きの壁」は第2神殿の破壊時に残った唯一の壁。ユダヤ人にとっては、民族の悲しみの歴史を象徴し、この地に先祖が住んでいたという証になっています。

〔出典・参考〕
成美堂出版「図解 宗教史」/Ussher chronology/旧約聖書/wikipedia/テレビ東京「137億年の物語」/中経出版「池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」