聖書と歴史の学習館

象徴献祭とは人間と万物を復帰

アベルの象徴献祭(羊の供え物)

象徴献祭とは

象徴献祭とは、神の人類救援の摂理の中で、復帰基台摂理時代(アダムからアブラハムの時代)において、神のみ意にかなうように、燔祭(供え物など)などを捧げる人間の信仰的な行為です。象徴献祭により、万物と人間が象徴的に復帰されます。

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神の第三祝福と象徴献祭

神の第三祝福(万物世界を主管せよ)は、人間が万物世界の主人となって、万物すべてを管理・保全することで、「人間が万物よりも上の立場(より神に近い立場)で万物を主管する」ことによって成就されるようになっています。本来、神は人間を万物より神に近い立場(万物よりも上の立場)で創造されました。しかし、人間が堕落することにより、万物以下の立場、すなわち、万物を主管できない立場にまで落ちてしました。

人間が万物を主管(神の第三祝福を成就)するためには、人間が万物よりも、上の立場でなければなりません。このため、堕落した人間は万物以上の立場に戻る(復帰する)必要があります。人間が万物より上の立場(より神に近い立場)になるためには、人間よりも神の方に一層近い存在である万物を通じなければなりません。

象徴献祭は、万物と人間の位置関係(秩序)を創造本然の状態に象徴的に復帰することが目的です。


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象徴献祭で万物をささげる理由

人類始祖の堕落によって、人間は万物(動物や植物など)よりも、低い立場(神から遠い立場)にまで堕落してしまいました。人間以外の被造物は、神の理想(み意)のとおりに創造が完了しましたが、人間は未完成で堕落し、神の創造理想のとおりになっておらず、万物以下の立場になってしまったのです。

万物以下にまで堕落した人間は神のみ言を直接的に受けることができない立場になってしまいました。このため、み言の代わりの条件として立てられたのが、供え物となりました。

また、万物以下にまで堕落した人間が、(象徴的に)神の前に出るためには、天の原理・秩序に従って、人間よりも神の方に一層近い存在である万物を通じなければならないのです。これが、象徴献祭の供え物として山羊や雄牛、穀物などの万物を捧げる理由とされています。

なお、本来、天使は神の使いであり、神の子である人間の僕(万物)として創造されました。しかし、人間は天使よりも低い立場にまで堕落してしまったため、天使の方がより神に近い立場となり、天使に対し神聖的なイメージを抱くようになったといわれています。


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象徴献祭と実体献祭

神の人類救援の摂理は、堕落した人間を堕落する前の状態に復帰させ、そこから再び神の理想とする人間を創り上げるために進められています。ただし、堕落は人間の責任分担で起こったため、人間自身が自力で堕落する前の状態に戻る必要があるのです。神ができることは環境を整えるだけです。

人類救援の摂理(人類再創造の摂理)の第一歩が「象徴献祭」です。次の段階として「実体献祭」とよばれる条件を人間の責任で成功すれば、実体的に人間が復帰されます。象徴献祭は万物を通して、人間を象徴的に復帰されますが、実体献祭では、より神に近い立場の人間(アベルの立場)を通して人間が実体的に復帰されることになります。

旧約聖書の歴史を紐解くと、神に選ばれた人物が「象徴献祭」と「実体献祭」に失敗し、そして、再び別の人物を選び、「象徴献祭」から始めるということが繰り返されていることがわかります。


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アベル~アブラハム・イサク・ヤコブまでの献祭

象徴献祭と実体献祭の結果をまとめると次の表のとおりです。なお、モーセ以降は、アブラハムの献祭の成功(第1ステージ成功)により、摂理が次の段階(第2ステージ/家庭レベルから民族レベル)に入るため、象徴献祭は必要なくなります。

中心人物
(選ばれた人物)
象徴献祭 実体献祭
内容 結果 結果
アベル 供え物
(羊)
成功
ノア
(セムとハム)
箱舟 成功 失敗
アブラハム 供え物
(鳩と羊と雌牛)
失敗
アブラハム・イサク・ヤコブ 供え物
(雄羊)
成功 成功

※アベルの実体献祭…カインがアベルを殺害することにより、中心人物が不在となり、実体献祭を行うことができなくなりました。

※ノアの実体献祭…次子(次男)ハムのノアへの不信行為により失敗に終わりました。

※アブラハムの象徴献祭…最初の献祭では、鳩を裂かずに象徴献祭に失敗。しかし、神は新たな摂理として、アブラハムに息子イサクの燔祭を命じました。アブラハムは神への絶対的な信仰でイサクの燔祭に成功します。さらに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊を燔祭としてささげて象徴献祭に成功しました。続いて、イサクの息子ヤコブの代には、ヤコブとエソウにより実体献祭にも成功。人類史上始めて「メシヤのための家庭的基台」が造成されました。その後、神の摂理は「メシヤのための民族的基台」の造成に向けた第2ステージに入ります。しかしながら、最初のアブラハムの献祭の失敗によりイサクの子孫(イスラエル民族)は、エジプトで400年の苦役を受けることになりました。

※中心人物アブラハム・イサク・ヤコブは、摂理的に見れば三代を一体として象徴献祭と実体献祭を成就したことになります。そのため、アブラハム(を代表とする)一代において成就されたとみなします。旧約聖書の出エジプト記には「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と記録されていますが、三代が一体であるという事実を象徴しているためといわれています。

My Interpretation

人類救援摂理は神とサタンの人間の奪い合い

人類救援の摂理は、堕落した人間をサタン世界から神の世界へと人間を取り戻すこと(復帰すること)であり、いわば「神とサタンの人間の奪い合い」です。その奪い合いは天法に基づいて法定論的に行われているといわれています。そのため神は、人間に命令し(試練を与え)、サタンを分立する条件(神の子である証拠)をつくり、人間を取り戻そうとされています。条件が満たされて、人間が神の側に復帰するときが「終末」です。すなわち、これまで、サタンが主導してきたサタン世界の罪悪の歴史が終わるという意味です。

しかし、終末に至っても、サタンはまだ究極のカードを持っています。それは人間の堕落により生じた「原罪」です。「原罪」はサタンが人間に刻印したマークようなもので、私たちは消すことができません。どんなに、神のみ旨に適うような行為をして、人間が神が主人であることを示しても、サタンは原罪を主張し、人間の所有権を主張します。

一方、神も究極のカードを持っています。それは、救世主と呼ばれている「メシヤ」です。原罪を取り除くために、神は「メシヤ」を送ってくださるのです。メシヤにより、原罪を取り除くことができれば、サタンは人間の所有権を主張することができなくなります。

象徴献祭は、神がメシヤを送ることができる条件(メシヤのための基台)をつくるための最初の一歩でした。

そして、およそ2000年前に条件が満たされ、神はメシヤであるイエスをユダヤ民族(イスラエル民族)に送ることができました。そして、ユダヤ民族から当時の世界の中心であったローマへと国家レベルへ摂理が進み、さらには、ローマから世界レベルへ人類救援の摂理が進む計画でした。しかし、当時の人々は、イエスをメシヤと悟ることができず、イエスは殺害されてしまい、摂理は成就しませんでした。そのため、神はメシヤを再び人類に送る摂理をなされています。


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