共産主義世界と民主主義世界を築いた2つの思想
カイン型人生観とアベル型人生観
中世ヨーロッパの教皇庁への人々の不満は、文芸復興と宗教改革という形で現れた。それぞれ、ヘレニズムとヘブライズムの復興運動であり、対立する方向へ発展し、共産主義と民主主義を貫く思想となった。
神の名ゆえに人々は苦しめられた
「教皇は太陽、皇帝は月」
これは13世紀初頭、教皇インノケンティウス3世(在位1198~1216年)が述べた言葉で、ローマ教皇が世俗の皇帝権に優越することを比喩している。
中世ヨーロッパではローマ・カトリック教会の権威は絶大であった。しかしながら、広大な領土を支配する封建領主となった教皇は、その生活に贅を尽くすようになり、やがて腐敗・堕落していった。教皇権は一般社会の権力機関と何ら変わりない非信仰的な立場に立つようになり、国民への指導力は低下した。
それでもローマ教皇は、形式的な信仰を通して、生活や文化、経済など、あらゆる面を支配していた。神の名ゆえに、人々はローマ教会の奴隷となり、束縛・抑圧され、自由な発展を期待することができなかった。
文芸復興と宗教改革
人々の不満は蓄積され、爆発した。そして2つの大きな動きとなって現れた。一つは、教会からの解放を目指した「文芸復興(ルネサンス)」であり、もう一つは、腐敗した教会を立て直す動き「宗教改革」であった。
文芸復興は、ヘレニズム精神(ギリシア・ローマ文化)の再生・復興運動であり、神から離れる方向に進展した。一方、宗教改革はヘブライズム(初代キリスト教精神)の再生・復興運動であり、神に近づく方向に進展した。文芸復興と宗教改革は、人間中心主義と神中心主義の相反する精神のもと、それぞれ「カイン型人生観」と「アベル型人生観」を形成していった。
カイン型人生観は、共産主義世界を形成した
(1)文芸復興から生じた理性論
14世紀にイタリアで始まった文芸復興(ルネサンス)は、神学的世界観・教会中心の価値観を否定し、人間の考えに関心を傾ける人本主義(ヒューマニズム)の思想を原動力として西欧各国に広まった。そして、世の中の動きを神の摂理として捉える考え方ではなく、人間の経験や感覚で確かめられる現実世界をそのまま認めようとする考え方が起こり、科学的精神が萌芽した。
17世紀以降の哲学は、発達しつつあった自然科学と結びついた。その一つが帰納法を特色としているイギリスの経験論哲学であり、もうひとつはフランスを中心とする大陸の理性論哲学(大陸合理論)である。
(2)理性論から啓蒙思想・理性万能へ
このように、16~18世紀には、神秘性や霊性を排除し、人間自身の理性を重んじる考え方へ思考が変化した。その転換は、いわば「知的革命」であり、その終局的段階をなすものが啓蒙思想である。
啓蒙思想は、フランスの理性論がイギリスの経験論の影響を受けて、17世紀のイギリスに生まれた。そこでは、神の代わりに、理性の力を信じ、いっさいの非合理的なものが退けようとする批判精神のもと、理性万能が主張された。
※啓蒙思想の担い手は市民階級であり、彼らは中世の神の代わりに、理性を掲げることで、既存の権力、制度、伝統を批判し、それによって現状打破の力をつかもうとした。特に、18世紀のフランスにおいて、啓蒙思想は、最もはなばなしく、展開され、フランス革命の精神的な原動力となった。
(3)啓蒙思想から共産主義へ
19世紀になると神や精神世界を否定する思潮は、さらに進展した。ヘーゲル左派とよばれるフォイエルバッハ(L.A.Feuerbach 1804-1872)は「人間が神を創造した」と主張。シュトラウス(D.F.Strauss 1808-1874)は聖書に現れた奇跡は後世の捏造であるとした。すなわち、理性で納得できないものをすべて否定したのである。彼らはヘーゲル左派とよばれ、精神的存在にこの世界の根源性を認めるヘーゲルの論理を翻し、物質的存在に根源性を認める唯物論の基礎を形成した。
マルクス(K.H.Marx 1818-1883)とその盟友エンゲルス(F.Engels 1820-1895)は、主にフランスで広がっていた初期社会主義思想を発展させ、無神論と唯物論の集大成ともいうべき、科学的社会主義を完成させた。そこでは、神や霊などの観念的な要素は、物質である脳の産物であるとみなし、完全に排除した。
さらには、ヘーゲル左派の思想を発展させ「弁証法的唯物論」を提唱。弁証法により社会は、より優れた社会主義へと発展することを説明した。レーニン(V.Lenin1870-1924)はマルクスの理論を発展させ、ロシア革命(1917)を指揮し、社会主義政権(ソビエト政権)を樹立した。しかし、彼らの理想は社会主義の発展形である共産主義にあった。弁証法により、共産主義社会を実現するためには、革命により資本主義社会を崩壊させる必然性があるという思想にまで発展し「カイン型人生観」を形成した。
アベル型人生観は、自由主義世界を形成した
(1)宗教改革の拡大
ルター(M.Luther 1483-1546)の宗教改革は、ローマ・カトリック教会の贖宥状(免罪符)の発行を抗議すべく「95か条の論題」で自説を展開したことに端を発する。当時の教会の定める制度や儀式は無意味であり、初代教会の精神に立ち帰ることを主張し、その反響はドイツ全土に及んだ。ルターに共鳴したスイスのツウィングリは、より徹底した改革をおこなった。その結果、カトリック側との内戦に発展し、彼が戦死してこの改革は頓挫した。 ついで、フランス人のカルヴィンは、ルターの影響を受けて改革を称えて追放され、スイスのジュネーヴに逃れた。彼は、信仰の純粋さを求め、徹底した神権政治を展開した。彼が説いた予定説はフランス、オランダ、イギリスなどの商工業者を中心に広がっていった。
宗教改革により、ローマ教皇を頂点としたカトリックに対し、聖書をもとにした純粋な信仰を掲げた宗派「プロテスタント」が形成された。ドイツ国内では、両者の対立は続き、ついには、ヨーロッパ中を巻き込む三十年戦争(1618-1648)にまで発展したが、1948年のウェストファリア条約によって終結した。
このように、新教運動を中心として起こった国際間の戦いは百余年間も継続してきたが、ドイツを中心として起こった三十年戦争が一六四八年ウェストファリア条約によってついに終結し、ここにおいて新旧両教徒間の戦いに一段落がついたのである。その結果、北欧はゲルマン民族を中心として新教が勝利を得、南欧はラテン民族を中心とする旧教の版図として残るようになったのである。
この三十年戦争は、ドイツを中心とするプロテスタントとカトリック教徒間に起こった戦いであった。しかし、この戦争は単なる宗教戦争にとどまったのではなく、ドイツ帝国の存廃を決する政治的な内乱でもあった。したがって、この戦争を終結させたウェストファリア講和会議は、新旧両教派に同等の権限を与える宗教会議であると同時に、ドイツ、フランス、スペイン、スウェーデン諸国間の領土問題を解決する政治的な国際会議でもあったのである。
出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代 」
※教会を改革しようとする動きは14世紀に始まっていた。ウィクリフ、フス、サヴォナローラといった先駆者たちは、それぞれのやり方で教会を改革しようとしたが、いずれも失敗し、宗教会議で、異端と断定されたり、有罪にされ、焚刑されてしまった。
このように宗教改革運動は、十字軍戦争によって法王の権威が落ちたのち、十四世紀から既に英国で胎動しはじめ、十五世紀にはイタリアでもこの運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わり、その中心人物たちは処刑されてしまったのである。
出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代 」
(2)第二次宗教改革運動(霊的宗教改革)
カイン型人生観が、その形成過程で、極端に理性を尊重する方向(理性万能)に向かったのに対し、アベル型人生観は、ますます霊性を尊重する方向に進展した。そして、第二次宗教改革ともいうべき「霊的宗教改革」が起こった。
17世紀のなかば頃、イギリスでは神秘主義者フォックス(G.Fox 1624-1691)を祖とするクェーカー派が起こった。激しい熱情をもって祈り、霊的に神の啓示を受けて、感動に身を震わせるという信仰形態を持っていた。クェーカーとは「身を震わせる者」という意味である。クェーカー派は、イギリス国教会から激しく弾圧され、クェーカー法が発布され、処罰された。ロンドンだけでも1年に2000人以上のクェーカーが投獄されたという。それでも、クェーカー派は、アメリカ大陸に渡り、新天地ペンシルヴェニアを建設した。彼らの中心都市はフィラデルフィア(ギリシア語で「兄弟愛」の意)と名付けられ、現在に至っている。
なお、クェーカー派は徹底して平和主義を貫いた。平和運動をはじめ、社会奉仕、人道支援などの世界規模の活動が評価され、1947年にはノーベル平和賞を受賞した。
スウェーデンボルグ(E.Swedenborg 1688-1772)は、1745年にイエス・キリストにかかわる霊的体験をした。これをきっかけに、霊眼が開け、この世にいながら25年以上にわたり霊界に出入りするようになった。彼は科学者でありながら、霊界の様相を伝える著作物を多量に出版した。
スウェデンボルグとともに霊界事情に通じた二大巨星といわれているインドのサンダーシングは、ヒンドゥー教の一派であるシーク教を熱心に信仰していた。しかし、彼が真剣に祈っているときに現れたのは、インドの神仏ではなく、イエス・キリストであった。彼はそれまで味わったことがない心の深い平安と大きな喜びを体験して、イエスの前にひれ伏し、回心した。その後、1日に5時間を祈りに捧げ、祈りの中で霊眼が開かれ、イエスとの神秘的な交わり、天使と会話するなどの霊的体験を繰り返した。彼は、著作活動に専念し、霊界の様相を伝える七冊の書物を残した。また、欧米諸国の教会から招待され、講演を行い、神の救いの摂理などを伝えた。
(3)第三次宗教改革運動
イエスの時代、ユダヤ教は腐敗を極めていた。イエスは、律法学者やファリサイ派の人々に対し、偽善者であることを指摘し、痛烈な批判を浴びせた。そして、イエス自身が形式主義的な信仰を立て直そうと義憤に燃えていた。ルターにより腐敗したローマ・カトリック教会を立て直すべく宗教改革が起こったが、同様に、イエスは腐敗したユダヤ教を立て直すべく宗教改革を起こそうとされたのである。しかしながら、イエスは、ローマ帝国への反逆者として、十字架にかけられ処刑されてしまった。
それから2000年が経ち、ときが満ち、再臨主を迎える時期となった。イエス当時のユダヤ教と同様、それを引き継いだキリスト教も思わしくない状態になっていた。特に、アメリカはキリスト教精神によって建国された国、しかし、麻薬、覚せい剤、倫理なき性交など、犯罪が蔓延る国となっていた。これはキリスト教の理念が無能化したことを意味する。再臨主により、キリスト教を立て直すべく、第3次の宗教改革運動が起こるということは、歴史の発展過程から見て、推察できる。同時に、黙示録に記録されているように、長らく七つの印をもって封じられていた真理が明かされ、キリスト教を再生する新しい真理が現れるであろう。それは、共産主義に対抗しうるような新しい理念「アベル型人生観」である。
世界は共産主義と自由主義に二分した
「バルト海のステッテンからアドリア海のトリエステまで、
ヨーロッパ大陸に『鉄のカーテン』が降ろされた」
1946年、イギリスの前首相チャーチルがアメリカで演説したときの一節である。ソ連をはじめ、東欧の社会主義圏の諸国が、西欧の自由主義国との間に設けた厳しい封鎖線を喩えたもので、冷戦時代の到来を表現している。
第二次世界大戦直後に、世界は社会主義陣営と自由主義陣営に二分した。換言すれば、神を否定する思想で建国された共産主義国家群と神を中心に建国されたキリスト教国家群の対立であり、カイン型人生観とアベル型人生観の対立である。
原理講論によれば、第二次世界大戦後には、今まで歴史的に清算されなかった世界的スケールのカイン・アベルの分立摂理が展開され、これが決着したのち、神の国が実現されるという。
共産主義と自由主義の闘いは、遡れば、啓蒙思想(理性尊重)と観念論(霊性尊重)との闘いであり、文芸復興と宗教改革に起因する。さらに遡れば、紀元前後のギリシア・ローマの文明とイエス、前11世紀頃のギリシャ文明とソロモン、メソポタミア(偶像崇拝)とアブラハムがそれらのルーツとなる。結局は、堕落によって生じてきた文明圏と神によって選ばれた選民によって築かれた文明・文化圏との対立である。すなわち、人類の歴史の流れによって、結実したものが、現在の共産主義世界と自由主義(民主主義)世界であり、カイン・アベル分立摂理の最終段階に来ている。
カイン型人生観(文芸復興から発展) | アベル型人生観(宗教改革から発展) | |
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精神 | ヘレニズム | ヘブライズム |
主義 | 人間中心主義(カイン型) | 神中心主義(アベル型) |
第一次 | 理性論デカルト、スピノザ、ライプニッツ経験論ベーコン、ホッブス、ロック、フューム、バークレ | 宗教改革ルター、カルヴィン、ツウィングリ観念論カント、ヘーゲル |
第二次 | 啓蒙思想・理性万能モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー、 ディドロ、ダランベール | 霊的宗教改革・人間の霊性を尊重スウェーデンボルグ、ホックス、サンダーシング |
第三次 | 共産主義理念(カイン型人生観の結実)マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン | 新しい理念(アベル型人生観の結実)再臨主 |
復帰摂理は、長い歴史の期間を通じて、個人から世界に至るまでカインとアベルの二つの型の分立摂理によって成し遂げられてきた。したがって、歴史の終末においても、この堕落世界は、カイン型の共産主義世界と、アベル型の民主主義世界に分立されるのである。そして、ちょうど、カインがアベルに従順に屈伏して初めて「実体基台」が成し遂げられるように、このときにもカイン型の世界がアベル型の世界に屈伏して初めて、再臨主を迎えるための世界的な「実体基台」が成就されて、一つの世界を復帰するようになるのである。
出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代 」
〔参考文献〕
山川出版社「詳説 世界史研究」/ウェブサイト「世界史の窓」/倉原克直氏「メシヤ再降臨準備時代」/世界平和統一家庭連合「原理講論」