善悪分立の摂理 神による被造世界の聖別
善悪分立の摂理
善悪分立の摂理とは、神が人類救援の摂理を進めるにあたり、善と悪が共存している被造世界を善と悪とに分立させ、善にのみはたらきかけることをいいます。聖書には、万物(供え物)、人物、国家などの分立が多く記録されています。これは、善悪分立の摂理であり、いわゆる「聖別」に相当します。
例えば、動物などの生贄(供え物)を2つに裂いて捧げたことが記されています。これは、人間の堕落により、この世のすべてに悪(サタン)が侵入してしまった(※)ため、万物を象徴的に善と悪との2つに分け、神は善の方を受け、サタンは悪の方を受けるためです。
神が直接的にアプローチできる対象は、聖別された善のみであり、悪または善と悪を同時に内包する対象には対応できないのです。
このため、神はこの被造世界を善と悪とに象徴的に分立し、聖別された善のみに対応しながら、人類救済の摂理を進めておられるのです。
授業の喩え一つの教室で相反する二つの授業は行えない
ある学校の教室で、善良先生が道徳の授業を穏やかに行っていました。そこへ突然、悪鬼先生が乱入してきて「人生を幸せにする方法を知りたい人は、こっちに来て!」ともう一つの授業を行い始めました。生徒たちにとって、それは奇抜で魅力的に思えたので、ほとんどの生徒たちは、悪鬼先生の方へ行ってしまいました。その内容は、他人を恨んだり、困らせたり、上手に犯罪を行うことなどを面白おかしく教える授業で、生徒たちは喜んでいましたが、教えている内容は偽りで、実際には不幸をもたらす悪なる教えでした。
善良先生が生徒たちに戻ってくるように促しますが、戻ってきません。それどころか、善良先生のもとに残った生徒たちも、その授業へ行きたそうにしています。
このような状況では、善良先生の道徳の授業はできません。多くの生徒が悪鬼先生の授業を聞いており、残ったスペースもほとんどありませんでした。そこで、善良先生は、教室の片隅をパーテーション(防音壁)で仕切って小さな部屋をつくり、残っているごく少数の生徒たちに向けて、人を思いやり、助け合って生きることの大切さなどを教える善の授業を行いました。
この授業の喩えは、同じ教室で二人の先生が相反する二つの授業を行うことができないこと、部屋を分けたことで、神の善悪分立の摂理を表現しています。神の人類救援摂理は、選ばれたごく少数の人物、民族、国家などを選び、他と分立させて(聖別して)進められてきました。ノアの洪水では、ノアの家族だけが選ばれ、旧約時代にはイスラエル民族が選民として摂理が進められてきました。新約時代(紀元後)はキリスト教徒(クリスチャン)を中心に摂理が進められてきました。
このように、神が人類救援の摂理をされる大前提は聖別です。神が対象(供え物や人物、国家など)を善と悪に象徴的に分立されることにより、聖別された善を基台(土台)として、摂理を進められています。しかし、善の側に分立された人間の不信仰や不義な行為により、再び悪(サタン)が侵入してしまう場合も数多く聖書に記録されています。そして、神は再び善悪を分立(聖別)して摂理を進められるという歴史が繰り返されています。
※「悪の侵入」は「悪に呪われた」と表現されることもあります。
ノアの洪水
ノアの時代(紀元前2348年頃)、人々は淫乱に陥り、世の中に悪が蔓延していました。善と悪が共存する世界には神がアプローチすることができないため、神は40日の洪水により、悪なる世界を消し去りました。結果として、ノアの家庭が分立され、神の人類救援の摂理が再出発しました。
アブラハムによる供え物
神はアブラハムに牛と羊と山鳩の三種の供え物をするように命じました。そして、善悪分立のために、2つに裂いて捧げたのですが、鳥だけは裂きませんでした。その結果、アブラハムの供え物は神が受けることができず、悪(サタン/はげ鷹)がアブラハムを襲いました。
この失敗により、アブラハムの子孫はエジプトで400年の苦役(奴隷生活)を受けることになりました。
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。
創世記 15章8節~13節(新共同訳)
長子と次子
旧約聖書では、「次子」は神に愛され、「長子」は憎まれる立場であったことが数多く記録されています。しかし、神が長子を本当に憎んでおられたわけではなく、人間を善と悪に象徴的に分立した上で、人類救済の摂理を進めざるを得ない事情があったからです。
その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。
人類の始祖が堕落することにより、人間は汚れてしまいました。神は絶対的な方でおられるので、堕落した(汚れた人間/善悪が共存する人間)にはアプローチできません。そこで、人間を象徴的に分立(聖別)して、善を象徴する側の次子を中心に人類救援の摂理を進めてこられました。このとき、必然的に長子は次子に対して嫉妬や恨みの念を抱くようになります。カインとアベルのときには、殺人事件にまで発展してしまいました。
しかし、神の摂理は長子が次子に屈服することにより進められます。すなわち、悪を象徴する人物(または民族や国)が善を象徴する人物(または民族や国)に屈服することにより成就されるのです。エサウとヤコブのときも、ヤコブは殺されそうになりますが、21年後に和解します。エサウとヤコブの和解は、旧約聖書に記録されている大きな成功(勝利)の一つとされています。
アベルとカイン
人類始祖アダムは堕落して、善悪を知ってしまったため、神が対応できる人物ではなくなってしまいました。アダムの肉体を二つに分けることができないため、二人の子供、カインとアベルに分立しました。そして、カインとアベルは、供え物をしますが、神はアベルの供え物にのみ受けられました。その理由は、カインを悪を象徴する対象、アベルがを善を象徴する対象として聖別し、神はアベルの供え物のみにアプローチすることができたからです。
時を経てのこと、カインは農作物をヤハウェのもとに供え物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。ヤハウェはアベルとその供え物に目を留められたが、カインとその供え物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。ヤハウェはカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪が戸口で待ち伏せており、お前を求める。しかし、お前は罪の支配者とならねばならないのだ。」
創世記 4章3節~7節
エソウとヤコブ
イサクのふたごの息子、エソウ(兄)とヤコブ(弟)も、それぞれ悪を象徴する対象と善を象徴する対象として分立されました。聖書の記録によると、生まれる前から「兄は弟に使えるだろう」と神に告げられました。その後、長子の特権を次子ヤコブに奪われ、長子エソウに授けられるべき、父イサクからの祝福もヤコブに奪われます。
そして、ヤコブが神から選ばれた者として、子孫が繁栄し、多くのイスラエルの王が誕生しました。その中のダビデ王の血筋から、紀元前4年にイエス・キリストが誕生しました。
エフライムとマナセ
ヤコブが彼の孫マナセ(長子)とエフライム(次子)を同時に祝福するときに、次子エフライムを優先的に祝福するために手を交差して祝福しました。
ヨセフは二人の息子のうち、エフライムを自分の右手でイスラエルの左手に向かわせ、マナセを自分の左手でイスラエルの右手に向かわせ、二人を近寄らせた。イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。
ヨセフは、父が右手をエフライムの頭の上に置いているのを見て、不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」ところが、父はそれを拒んで言った。「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」
創世記48章13節~14節/17節~19節
イスラエル王国
神の国イスラエル王国は、紀元前10世紀前後のソロモン王の時代に全盛期を迎えました。しかし、王はエジプトのパロの娘を妻に迎えたり、神(※)の民として認められていない諸外国から700人の妻や300人の側女を囲い入れました。つまり、神に選ばれ、聖別された民の中に、悪の血統を持つ民を侵入させてしまったのです。さらには、神が許していない外国の神々(偶像)にも仕えてしまいました。イスラエル王国に悪が侵入してしまい、善悪が共存する王国になってしまったのです。
※イスラエルの神=アブラハム・イサク・ヤコブの神=唯一神のこと。エジプトなど諸外国の神とは異なります。
その結果、神はイスラエル王国を北イスラエル王国と南ユダ王国に分立し、善を象徴する南ユダ王国を中心として摂理を進めることになりました。
フランク王国
紀元後、神の摂理は、フランク王国を中心に進められてきました。特に、「ローマ皇帝」の帝冠を与えられたチャールズ大帝(=カール大帝)以降は、「神国論(アウグスティヌス」が国家理念となり、「キリスト教王国」ともよべるような時代になりました(※1)。
しかし、チャールズ大帝の孫の三人の間で紛争が起き、東フランク王国と西フランク王国に分断されました(※2)。
このうち、東フランクが、善を象徴する国、神が対応し得る国となりました。そして、オットー一世によって大いに興隆し、「神聖ローマ帝国」と呼ばれるまでに発展しました。
※1:(西)ローマ帝国の復活とも言われます。
※2:正しくは、東フランク王国と西フランク王国と中フランク王国(イタリアと中部フランス)に三分されました(三人の孫が分割)。しかし、その後、中フランク王国はイタリアを除き、東西フランク王国に分割併合された(870年メルセン条約)ので、実質的には東西の2つのフランク王国に分立された時代になりました。
※2の補足:西フランク王国は、フランス王国などを経て現在のフランスにつながり、東フランク王国は、後の神聖ローマ帝国を経てドイツへとつながっていきます。中フランク王国に残されたイタリアは、現在のイタリアにつながったともいわれますが、その後の経緯が複雑なので、必ずしもイタリアの原型になったとは言えないようです(諸侯によって分割され、都市国家的な面積の国家群の乱立状態になりました)。
日本聖書教会「旧約聖書(新共同訳/口語訳)」/日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/統一教会「原理講論」/裏辺研究所「フランク王国の成立とキリスト教を巡る思惑」/wikipedia