讒訴条件サタンによる人間を介した活動
讒訴条件(ざんそじょうけん)とは、サタンが人間を主管するための条件として神の前に訴える内容のことです。その内容が霊界や地上界(天宙)に存在する、絶対的な原理(掟)に適っていれば神ですら認めざるを得なくなります。条件が整うとサタンは人間に侵入し、人間を介した活動を行います。この世に葛藤や不幸が絶えないのは、サタンが人間の罪を根拠に絶えず讒訴条件を提起するためなのです。
サタンによる人間を介した活動
サタンは、霊的な存在なので、この世で直接的に悪を行うことはできません。人間の心に働きかけ、人間に悪事させて、世の中に悪や不幸を広めています。人間は知らぬ間にサタンに主管され「サタンの手足」となっているのです。
※神も同じように、選ばれた人物の心に働きかけ、神の子ならではの行為(信仰基台、実体基台)を立てさせて、救いの摂理を進めています。
ところで、霊界や地上界(天宙)には、絶対的な原理(掟おきて)があります。 神ですら、原理にから外れた行いはできません。神やサタンが人間を主管するためには「条件(根拠)が必要」という原理があります。
例えば、親が自分の子に「おつかいに行ってきてちょうだい」、「もっと勉強しなさい」などと言うことはできますが、赤の他人の子に同じようなことは言えません。しかし、血のつながりのある孫や姪や甥には言うことができるでしょう。血がつながっているという条件があるからです。
これと同じように、神やサタンも何らかの条件がない限り、主管できず、人間に悪事を行わせることはできません。神は、人間の創造主(親)であることを条件に、サタンは原罪(堕落)などの罪を根拠に人間に主管しようとします。
讒訴条件とサタンの活動
サタンが人間の主管を主張できる条件のことを「讒訴(ざんそ)条件」と呼びます。 サタンは人間の罪を条件として人間を主管し、人間に働きかけます。人間の心(霊人体)の傷や寂しさを刺激するのです。そして、人間がサタンの働きかけに応じてしまった場合、人間は邪心を抱くようになります。邪心とは、恨み、妬み、悲しみ、憎しみ、恐怖、怒り、悪意、敵意などの負の感情のことです。
※霊人体の傷は、主に社会生活や人間関係の中で生じる、恨み、悲しみ、妬みなどです。
多く人間はサタンの働きかけに応じてしまい、邪心(負の感情)を抱いてしまい、サタンと精神的な見えないやりとり(霊的なやりとり)が行われるようになります。
このことを、サタンと人間が「(相対基準を造成し、授受作用を行う」と表現します。
人間がサタンの(心の)声に応じ、相対基準が造成して、授受作用を行うと、邪心は急速に増大します。そして、膨らんだ邪心を自らの理性で抑えることができないレベルになると、犯罪行為が誘発されます。
この世に悪が広がるのは、サタンが人間の罪を条件(讒訴条件)として、人間を土壌として、悪事を行うからです
※逆に罪がなければ、サタンは讒訴条件がないため、サタンと人間は、相対基準を結ぶことはできません。人類救済とは、サタンが主張できる讒訴条件を皆無にすることです。堕落した人間が自らの努力で解決できないのが、人類始祖が犯した「原罪」です。原罪を清算するために、神はメシヤ(救い主)を遣わしてくださるのです。
サタンは、ヨブを神の前に訴えるように(ヨブ一・9)、絶えずあらゆる人間を神の前に訴え、地獄に引いていこうとしているのである。しかし、サタンもその対象を取り立てて、相対基準を造成し、授受作用をしない限り、サタン的な活動をすることはできない。
地上天国を復帰するということは(前編第三章第二節参照)、全人類がサタンとの相対基準を完全に断ちきり、神との相対基準を復帰して、授受作用をすることにより、サタンが全く活動することのできない、そのような世界をつくることをいうのである。終末に至って、サタンを底なき所に閉じ込めると言われたみ言は、とりもなおさず、サタンの相対者がいなくなることによって、サタンが活動できなくなるということを意味する。
天の法廷と讒訴条件
神とサタンは、法廷の裁判官と検事に喩えられます。新約聖書の黙示録(12:10)では、サタンを「われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者」と表現されています。天の法廷では、神が裁判官の役割を果たし、サタンは検事の役割を担います(メシヤは弁護人とされています)。サタンは人間の罪を神の前に訴える存在です。神は絶対者であるため、理にかなっていれば、公平さに基づいて判決を下します。
神は、ユダヤ民族(イスラエル民族)を特別な選民として選び、メシヤを彼らに送り、その救いを通じて全人類の救いを計画されました。しかし、ユダヤ民族全体がイエスを受け入れないようになると、サタンは不信仰を利用して彼らの中に侵入しました。そして、サタンはユダヤ民族に対し「メシヤへの不信仰の罪の代償として、ユダヤ民族全体を滅ぼすべきではないか」と神に訴えるようになりました。
堕落性本性とは
人間は先天的も創造本性(善の心、利他性の心、愛や平和を求める心)が備わっています。これに対して、堕落性本性(悪の心、自己中心・利己性の心、悪を求める心)は人間が後天的に持つことになってしまった本性(邪心)のことです。堕落性本性は、人類始祖が堕落したときに、偶発的に生じてしまったもので、具体的には、恨み、妬み、悲しみ、憎しみ、恐怖、怒り、悪意、敵意などの負の感情です。悪い環境が整うと邪心は雑草のように芽生えてきます。それを人間が理性でコントロールできなくなると、サタンとの授受作用が活発化され、人間は悪を行うようになります。そして、しばらくすると邪心は消えていくということが繰り返されます。よく「魔が差した」などといいますが、サタンが人間に働きかけ、人間がそれに応じて、授受作用が活発化され、悪事を働いてしまったことを的確に表現した言葉なのです。
世界平和統一家庭連合「原理講論」