大ヤコブ 12使徒の中で最初の殉教者
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大ヤコブと小ヤコブ

大ヤコブの「大」は、信仰のあつさや偉大さ、年齢等を意味するものではない。アルファイの子ヤコブ「小ヤコブ」と区別するために付けられたものだ。小ヤコブは、大ヤコブよりも年長であったし、大ヤコブの方が、信仰が篤かったり、布教の実績が優れているなどという記録もない。ヤコブに「小」が付されて「小ヤコブ」と呼ばれるのは、弟子になった順番が、大ヤコブより後だったからといわれている。今でも多くの修道会では、最初に入会した者を「major(大)」と呼び、あとから入会した者は、たとえ年長であったり、聖徳に優れていたとしても「minor(小)」と呼ばれる。

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除酵祭じょこうさい

ユダヤ暦のニサン月(太陽暦の3月か4月)14日の夜に祝われる過越祭に続く一週間のこと。早くから過越祭の中に組み込まれてしまった。ユダヤ人の先祖がエジプト脱出の夜、種(酵母)を入れないパンをもって出たとして、一週間、マッツァーと呼ばれる種なしパンを食べる。
〔参考・出典〕
kotobank.jp

大ヤコブ ゼベダイの子・雷の子

Saint James the Greater
Guido Reni/グイド・レーニ 1636-1638年
ヒューストン美術館


01/06

大ヤコブ・ヨハネ兄弟

大ヤコブは、ゼベダイの子であり、ヨハネと兄弟(大ヤコブは兄)である。ガリラヤ湖畔のベトサイダで漁業を営んでいた。出身、生業ともにペトロ・アンデレ兄弟と同じだ。ある日、大ヤコブは、父と弟のヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていると、イエスがやって来て、大ヤコブ・ヨハネ兄弟に声を掛けた。すると、二人はすべてを捨てて、イエスの弟子となった。

New Testament

ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

マタイによる福音書4章21節~22節

大ヤコブ・ヨハネ兄弟は、血気盛んな荒々しい気性を持つため「雷の子ら(※)」と名付けられたといわれている。

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New Testament

ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。

新約聖書/マルコによる福音書3章17節

サマリア人の村へ宣教に訪れたときには、自分たちが歓迎されないのを見て、「彼らを焼き滅ぼしてしまいましょうか」とイエスに告げ、戒められたエピソードもある。

大ヤコブは、ペトロ、ヨハネとともにイエスの三側近。12弟子の中のいわば「トップスリー」であった。

※伝承では、大ヤコブの父ゼベダイは、船数隻を保有し、使用人を雇うことができるほど、とても裕福な漁師であった。エルサレムの都にも魚を出荷していたといわれている。

※大ヤコブとヨハネの母親サロメは、マリアの妹であった。イエスとヤコブ兄弟とは従兄弟(いとこ)であった。

※ヨハネによる福音書を記した「ヨハネ」は大ヤコブの弟だ。しかし、ヨハネによる福音書の中では、21章2節に「ゼベダイの子たち」と記されている以外には、兄ヤコブ(大ヤコブ)については、一度も言及されていない。

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New Testament

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」

マルコによる福音書14章32節~34節
日本聖書教会「新約聖書」

02/06

鳴り響く説教の声

イエスの昇天後、大ヤコブは宣教活動を行なった。大ヤコブが「雷の子(※1)」と呼ばれたもう一つの理由は、大ヤコブは、声が非常に大きかったからといわれている。彼の説教の威力は凄まじく、大ヤコブの鳴り響く説教の威力によって「悪人どもをふるいあがらせ、怠惰な人びとを目覚めさせ、その深遠さにだれもが賛嘆しないではおれなかった(※2)」と伝えられている。また、中世の科学的神学者と言われるベーダは、大ヤコブの声が、あと少しでも大きかったら、誰も彼の声を聞き取ることができなかっただろうと述べている。

※1:当時のヘブライ語の「雷の子(ボアネルゲス)」には「神の声」という意味(訳)もある。

※2:ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」より


03/06

重要な場面に同行している大ヤコブ

大ヤコブは、弟のヨハネ、第一弟子のペトロとともに、イエスの三側近であった。彼らはイエスの重要な場面に居合わせ、イエスの奇跡を目撃したり、イエスの苦悩と祈り(ゲッセマネの祈り)に付き添ったりしている。

イエスが光り輝く姿に変容した場面を目撃
イエスがヘルモン山でモーセとエリヤに会って光り輝く姿に変容したとき、大ヤコブ、ヨハネ、ペテロの3人はイエスに同行し、その姿を目撃している。
ヤイロの娘が生き返る奇跡を目撃
イエスが会堂長ヤイロの娘を生き返らせたという話が新約聖書に記されている。このときも、大ヤコブとヨハネ、ペトロが立ち会っていた。
ゲッセマネの祈りのときに同伴
イエスがゲッセマネで祈るときも、イエスのかたわらには、大ヤコブとヨハネ、ペトロがいた。
New Testament

六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。

マタイによる福音書17章1節~8節
日本聖書教会「新約聖書」
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イエスがまだ話しておられるときに、会堂長(=ヤイロ)の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。
一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。

マルコによる福音書5章35節~42節
日本聖書教会「新約聖書」

04/06

12使徒の中での最初の殉教者

初期のエルサレム教会で、大ヤコブは中心的な立場にあった。また、使徒としても活動しており、ユダヤとサマリアの地を伝道して歩き、その後、スペインにも渡った。当時のスペインははるか彼方の辺境の地であったが、ヤコブは熱心にイエスの教えを説いてまわり、この地で9人の信者(弟子)を得た。

エルサレムに戻ると、イエスの弟子たちへの迫害は激化していた。紀元後44年(※)の春の過越祭を目前に、ユダヤ教の巡礼者たちが各地からエルサレムに集ってきた。ヤコブは反ユダヤ教と見なされ、ユダヤ王のヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられた。そして、王は、ユダヤ人を満足させるため大ヤコブを血祭りに上げた。大ヤコブは、12使徒の中で最初の殉教者となった。

※紀元後42年という説もある。

※12使徒の中で、新約聖書(正典)に、殉教の記録が残されているのは、大ヤコブのみ。

New Testament

そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。

使徒言行録12章1節~3節
日本聖書教会「新約聖書」

05/06

ヤコブの遺骨はスペインへ

大ヤコブの殉教後、大ヤコブの亡骸(なきがら)をエルサレムに埋葬することは困難であった。反キリストの勢力が強かったためだ。

弟子たちはユダヤ人たちを怖れて、夜こっそりと大ヤコブの亡骸を持ち出し、舟に積んで地中海に出た。埋葬の場所は神にゆだねることとし、風や潮の流れにまかせて航海した末、わずか7日間でイベリア半島(スペイン/イスパニアのガリシア地方)に漂流した。そして、大ヤコブの亡骸は無事にスペインの地に葬られたが、墓の場所は忘れ去られてしまった。


06/06

大ヤコブの遺骨が発見される - 813年

9世紀に入って、大ヤコブの亡骸が埋葬されたといわれるガリシア地方の野原の夜空に星が現れ、地面に一条の光が降り注いだ。その光景を羊飼いが目撃し、星に導かれるように行ったところ、遺骨と墓が見つかり、これこそが聖ヤコブの墓に違いない、大発見だと、一大ニュースとなった。この知らせを聞いた国王アルフォンソ2世は、大変感激し、大ヤコブの墓の上に立派な聖堂を建た。

Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステラ) スペイン<br />大ヤコブの墓が納られている聖地

Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステラ) スペイン
大ヤコブの墓が納られている聖地

※サンティアゴ(聖大ヤコブ)・デ・コンポステラ(星の野)

大ヤコブの遺骨が発見されたときは、スペイン人とサラセン人との戦の真っ最中であった。スペインの戦士たちは「聖大ヤコブとスペインのために、命がけで戦うぞ!」と士気が高まり、勝利を手にすることができたといわれている。そして、聖大ヤコブは、スペイン、そして戦いの守護聖人となった。

こうして聖ヤコブを祀って建立されたサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂は、現代でも巡礼者が絶え間なく訪れるキリスト教の聖地のーつとなっている。

※キリスト教(カトリック)の三大巡礼地…聖都エルサレム、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂


〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書」/創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/kotobank.jp