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漢江の奇跡1960年代以降の韓国の急激な経済成長

韓国では、1960年代以降、30年ほどで最貧国から先進国へと急激な経済成長を遂げた。この高度経済成長をソウルを流れる川の名にちなみ「漢江(ハンガン)の奇跡」とよんでいる。

1948年、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、それぞれ成立。1950年、北朝鮮が韓国領内に侵攻したことを発端として、朝鮮戦争が勃発した。米軍を中心とする国連軍と北朝鮮軍による戦いは、一進一退の戦闘が続いた。そして1953年、休戦協定が結ばれ、現在の軍事境界線が築かれた。

その後、南側の韓国は、軍人によって統治される軍事政権が続いた。朴正煕(パク チョンヒ)政権(1963〜79年)は、事実上の軍事独裁を続けるとともに、国の経済成長を最優先する政策をとった。

戦後の韓国は、1960年代前半までは農業国であり、資源が少なく GDP(国内総生産)で北朝鮮を下回っており最貧国の一つとなっていた。しかし、1960年代半ばからの急速な経済開発の結果、産業構造の高度化、輸出拡大、経済成長を実現した。初めは、安価な労働力を利用した軽工業が中心であったが、1970年代初めから重化学工業の発展を目指し、大規模な工場を次々と建設し、輸出志向型工業化に成功を収めた。韓国は、世界の最貧国から先進国へと急激な経済成長を遂げた。この高度経済成長は首都ソウルを流れる川の名前にちなんで、「漢江(ハンガン)の奇跡」とよばれている。

漢江の奇跡の発端は、1965年、韓国の朴政権は、日韓基本条約を結び日本との国交を正常化したことである。このとき、日本から韓国へ経済協力(総額およそ8億ドル)が決められた。さらに、ベトナム戦争でアメリカに協力した韓国は、アメリカからの多額の援助と技術援助もあり急激な経済成長(成長率平均10%)を成し遂げた。

なお、韓国では経済成長とともに、民主化を求める動きが強まり、1980年代末に国民の選挙によって盧泰愚(ノ テウ)大統領(1988〜93年在任)が選出された。ここで韓国の軍事独裁政治が終わりを告げた。

〔出典・参考〕
NHK高校講座