神に見捨てられる試練モーセ路程が見せてくれた教訓
サタンの訴えを防ぐための試練
人間始祖が神を信じず、サタンを信じて堕落し、それを条件にサタンは人間に対応するようになった。神も無条件に人間に対応することができない。神が人間を通して摂理を進めようとされるときには、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われる。
人間は神を信じず、神から遠ざかり、堕落した。これを蕩減復帰するためには、逆に神が人間を信じない試練(神が不在であるような試練)、すなわち、神に見捨てられたような逆境におかれても、人間は神を信じるという条件を立てる必要がある。すなわち、神に選ばれた摂理の中心人物や民族は、神に見捨てられるという試練に勝たなければならない。そして、大きな使命を担う人物(民族)であればあるほど、彼を試みる試練もまた、それに比例して大きくなる。
パロ宮中四十年の試練
モーセの母親は乳母となってモーセを育てながら、イスラエル民族としての教育をした。物心がついた頃には、ファラオの王女のもとへ養子に出した。宮中ではエジプトの王子として育てられ、当時のあらゆる学問・知識を身につけた。モーセは民族の精神を失わなかった。絢爛豪華な生活の中でも、自らの民族の悲嘆の中にあることを見つめながら、王宮は自分の生きる世界ではないことを悟っていたことであろう。そして、モーセが40歳になった時、民族を救いたいという強い思いから、死をも厭わず、宮中を離れ、イスラエル民族の中に飛び込んでいった。
この宮中四十年の試練があったのちに、第一次の出エジプトの恩賜(※)が許された。
※第1次民族的カナン復帰路程における実体基台「出発のための摂理」
ミデヤン荒野四十年の試練
第一次の出エジプトの摂理において、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもってその出発のための摂理をされた。しかし、イスラエル民族がモーセを信じることができずに失敗した。モーセは王より追われる立場となり、ミディアンの荒野(※1)へ逃亡した。そこで40年間、羊飼いとして生活した後、第二次の出エジプト(※2)の恩賜を賜った。
※1:シナイ半島の北西部のミディアン地方
※2:第2次民族的カナン復帰路程における実体基台「出発のための摂理」
神がモーセを殺そうとする試練
モーセがミデヤンの地からエジプトへ帰る旅の途中、モーセはある所で一夜を過ごすことになった。その時、不意に神が現れ、今にもモーセを殺そうとした。妻のチッポラはとっさに火打ち石をつかみ、自分の息子の包皮を切り取り、割礼を施した。それから、切り取った息子の包皮をモーセの両足につけ、「あなたは私にとっての血の花婿です!」と叫けんだ。すると神は、モーセに手をかけるのをやめた。その後、アロンとともにエジプトに戻り、三大奇跡と十災禍の奇跡を下さり、出エジプトの恩賜を賜った。
途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。
日本聖書教会「旧約聖書」
三日路程の試練
これは、十災禍の九番目の暗闇の禍のこと。エジプトは三日間、漆黒の暗闇に覆われた。この試練に対応するのが、出エジプトでカナンに向かうときの雲の柱と火の柱の恩賜であった。神が昼間は雲の柱、夜は火の柱を立て、進む道をはっきり示してくれたので、彼らは昼も夜も旅を続けることができた。
紅海の試練
エジプトを脱出したイスラエル民族は、シナイ半島に向かっていた。しかし、ここで窮地がやってきた。目の前に広々と続く紅海が立ちふさがり、進路が阻まれた。そこで振り返るとエジプト兵たちが攻め寄ってきた。進むも不可能、戻るも不可能、神に見捨てられたような状況になった。そこで、モーセが杖を持った手を海にかざした。すると激しい東風が吹いてきて、海が割れ、海中ロードが出現した。両脇には水の壁がそそり立ち、乾いた地面となった海底をモーセ一行は足早に渡った。民族が渡り終えると、水は元どおりになり、後を追ってきたエジプトの軍隊は、紅海の藻屑と消えた。
この紅海の試練を経てから、マナとうずらの恩賜があった。
モーセ(イスラエル民族)に与えられた試練と恩賜
サタンの讒訴条件を防ぐための試練を為して後、恩賜が与えられる。
恩賜の前の試練 | 恩賜 |
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パロ宮中四十年の試練 | 第一次の出エジプトの恩賜 |
ミデヤン荒野四十年の試練 | 第二次の出エジプトの恩賜 (出エ四・2~9) |
モーセを殺そうとする試練 (出エ四・24) | 三大奇跡と十災禍の奇跡 (出エ七・10~) |
三日路程の試練があったのちに (出エ一〇・22) | 雲の柱と火の柱の恩賜 (出エ一三・21) |
紅海の試練 (出エ一四・21、22) | マナとうずらの恩賜 (出エ一六・13) |
アマレクとの戦いによる試練 (出エ一七・10) | 石板と幕屋と契約の箱の恩賜 (出エ三一・18) |
四十年間荒野で流浪した試練 (民数一四・33) | 磐石の水の恩賜 (民数二〇・8) |
火の蛇の試練 (民数二一・6) | 青銅の蛇の恩賜 (民数二一・9) |
人間始祖が、神を信じないで遠ざかったがゆえに堕落したのであったから、「信仰基台」を復帰する人物は、神が見捨てられるという試練に勝たなければならなかったのである。それゆえにモーセは、神が彼を殺そうとされた試練に打ち勝ったのちに(出エ四・24)、イスラエルの指導者として立つことができたのである。
そもそもサタンは、堕落を条件として人間に対応するようになったのであるから、神も、何らの条件なくして人間に恩賜を賜ることはできない。なぜなら、そうしないと、サタンが訴えるからである。ゆえに神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである。
©世界平和統一家庭連合「原理講論」