聖書と歴史の学習館

New Testament婚宴招待の喩え話

01/03

メシヤを信じないイスラエル民族

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
マタイによる福音書/ 23章 37節


神はイスラエル民族を選民として、人類の救いの摂理を進めてこられました。預言者を遣わし、将来メシヤが王の王として降臨し、イスラエル民族を中心とした神の国が建国されることを何度も説かれました。しかし、神により遣わされた預言者は、人々から異端者としてみなされ、殺害されてきました。上記の聖書の引用は、時が満ちて、メシヤが降臨し、イエスが目の前にいるのに、イエスを信じ、従っていくことができないイスラエル民族に対して嘆かれた言葉です。


02/03

婚宴招待の喩え

イエスは、また、たとえを用いて語られた。
「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。

そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。

しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。

そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。

そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。

マタイによる福音書 22章 1節 - 10節
日本聖書教会「新約聖書」

03/03

喩え話の解釈

イエス・キリストが降臨されたときの様子を喩えたものです。 王は神様、王子はその一人息子であるイエス・キリストを象徴しています。 招待状は旧約聖書(律法書)のことで、招かれた人たちは、当時のエリート階級であった大祭司や律法学者です。

神は人類を救うために、ヤコブの勝利以降、2000年間かけてメシヤを送る準備をされてきました。預言者を遣わして教育されたり、律法を与えたりしました。 そして、いよいよメシヤが降臨し、神の国建国が始まろうとするめでたいとき、イエスが最初に伝道すべきは、招待状により招かれた人たち、すなわち大祭司や律法学者たちでした。 彼らがイエスをメシヤとして受け入れれば、多くのユダヤ人たちも付き従うからです。 しかし、彼らは聖書の言葉にとらわれていたため、イエスの新たな福音を信じることができませんでした。結局は、さんざん異端視したあげく、悪霊に取り憑かれた男、悪鬼の頭、疫病のような男などと中傷し、イエスを受け入れることができませんでした。

イエスは仕方なく、町に出て、出会った人たちを伝道します。エリート層の代わりに伝道されたのは、彼らから最も遠い立場である者たち、すなわち、聖書を読んだことのないような漁師や取税人、娼婦、乞食や浮浪者など、下賤な人々でした。これらの人々から神の国建国の摂理を進めざるを得ない状況に陥ってしまったのです。