メシヤの使命

Messiah and Christ
メシヤ(ヘブライ語)は、油を注がれた人を意味します。油を注がれた人とは、特に「王」を意味します。 サウルもダビデも、サムエルにより油を注がれて王になりました。 イスラエル民族には、預言者たちが度々使わされ、イスラエルを救う「救世主を王(メシヤ)として」降臨させることを預言されていました。イスラエル民族はその預言を信じ、救世主を待ち望む気持ちは非常に強いものがありました。いわゆるメシヤ思想です。 このようなメシヤとして、来られた方がイエス・キリストでした。キリスト(ギリシャ語)には救世主という訳語が当てられています。

メシヤの使命

1972年2月19日、長野県軽井沢町の保養所において、連合赤軍が人質をとって立てこもりました。浅間山荘事件です。山荘を包囲した機動隊が10日間にわたる人質救出作戦を行ない、無事救い出しました。

私たちの世界には「救い」という概念があります。海などで溺れている人を救ったり、難民を救ったり、…。本来の状態にない人(危険状態にある人、不幸な状態にある人など)を、本来の状態(安全な状態、幸せな状態など)に戻すために助け出すことを「救う」と表現します。


キリスト教における救い

ところで、キリスト教にも「救い」という概念があります。ユダヤ民族のメシヤ思想から引き継いだ概念で、堕落状態(本来の状態でない)に陥っている人間を、神の摂理により、本来の状態へ復帰する(戻す・救出する)ことを意味します。 このように人間に対して救いが必要となったのは、人間が堕落したからです。


全人類は罪の状態にある

堕落は、人間始祖が神の言葉を信じず、サタンの偽りの言葉を信じることにより起こりました。堕落は、人間がサタンの人質となり、堕落世界「地上地獄」に監禁されているような状態です。これをキリスト教では「罪の状態にある」とも表現しています。「堕落」と「罪の状態」は、ほぼ同等の意味になります。

人間始祖が神を信じずに、サタンに従った罪を「原罪」といいます。この「原罪」を背負ってしまったことが堕落の本質です。「原罪」は「サタンと人間との契約」ともいえます。契約の内容は、人間はこの世の主権者として、神ではなく、サタンを選んでしまったことです。


サタンがこの世の主権を奪った

神は天地創造の最終段階で人間を創造しました。しかし、人間始祖が堕落して、原罪を背負ってしまったため、神は、この世の主権をサタンに奪われてしまいました。そして、サタンを中心として、人間が堕落世界「地上地獄」を築いてきました。神が天地創造のときに抱かれた理想世界「地上天国」とは正反対の世界です。

サタンは神に対し恨みを持った天使です。本来、神が愛によって人間を主管するはずでしたが、人間が堕落した結果、神が追い出され、サタンが恨みを持って人間を主管するようになりました。サタンが「この世を支配する者」、「この世の神」、「この世の君」などと表現されるゆえんです。


人間は人質にとられていることに気がついていない

堕落した人間の持つ最たる特徴は自己中心です。自己中心の人間が民族となり、国家をつくり、堕落世界が広がっています。

堕落世界では、悲しみや苦しみが存在します。戦争や紛争が起こります。著しい経済格差が生じ、飢餓で苦しむ人が生じます。地球環境の破壊も起こります。これらは、自国の利益を第一に考える自己中心的な経済活動が大きな原因です。

人間は、自己中心や不幸がこの世に存在することが当たり前のように考えて、サタンがこの世の主権者になって、人間がサタンの人質になっていることすら気づいていません。


メシヤの使命

サタンは人間始祖の過ち「サタンと人間との契約」、すなわち原罪を根拠に人間の所有権を主張します。人間始祖は、サタンに騙され、自らの判断でサタンと契約してしまいました。そのため、サタンの人質から解放されて、本来の人間に復帰するためには、神が準備してくださった環境の中で、人間自らの力でサタンとの契約を解消し、神と契約しなければなりません。そこには神すら干渉できないという原理があります。

それをできるのが、人間として遣わされる救世主(メシヤ)です。そのチャンスは約2000年前にありました。神は救世主として、イエス・キリストを遣わしてくださったのです。しばしば、イエス・キリストを神として考えられる場合がありますが、救世主はあくまでも原罪のない人間でなければなりません。

溺れている人が溺れている人を助けることができませんし、人質になって監禁されている人が他の人質になっている人を助けることができません。原罪のある人間は、サタンの支配下にあるため、救うことはできないのです。メシヤは原罪のない人間でなければならないのです。

上述のように、(霊的にみれば)人間はサタンによって地上地獄に監禁されているような状態です。監禁されている地獄の鍵はサタンが握っています。そこで神が遣わしてくださるのがメシヤです。メシヤは原罪を持たないので、サタンはメシヤを監禁することができないのです。メシヤはサタンと闘い、契約を解除し、部屋の鍵を開け、人間を解放し、本来の人間に復帰する使命を持っています。

イエス・キリストは、地獄の鍵を開けてくださいました。しかし、人間はそれを信じることができず、地上地獄から出ようとしませんでした。それどころか、メシヤを強制的に地獄世界に引きずり込み、殺害してしまいました。イエスは使命を果たすことができなかったため「私はまた来る」と言われたのです。

※ヤコブの勝利によりメシヤを送る基台が築かれ、その後、2000年間かけて、神はイスラエル民族を選民として預言者をとおし教育し、メシヤを送る準備をしてきました。しかし、イスラエル民族自らがメシヤを殺害してしまったため、再臨のメシヤを送るために、再び2000年間の期間が必要になりました。サタンに人類を監禁できる期間的条件が成立してしまったのです。


人類歴史は復帰の歴史

神はこの世界を本来の姿(地上天国)に戻す復帰の摂理を進められています。神は、地上地獄でサタンのもとにいる人間を奪い返し、創造本然の状態の戻す摂理です。しかし、人間は神を信じることができず、人間自らの責任分担を果たせず、一進一退を繰り返しながら、摂理は進められてきました。

人類歴史は、堕落した人間が本然の姿に復帰し、本来の世界「地上天国(神の国)」を創ることを目的として流れてきました。人類の歴史は、この地上地獄から地上天国に戻す「復帰摂理歴史」といえます。この復帰の摂理を完成させるために、摂理の最終段階で降臨するのが救世主メシヤなのです。