
十の災い(十災禍)出エジプト記に記された十の裁き
紀元前15世紀頃とされる時代、神の選民であるイスラエル民族(ヘブライ民族)は、エジプトにおいて奴隷として過酷な労役を課されていました。
神がアブラハムと結んだ契約に基づく「400年の苦役の期間」が満ちようとする頃、民族を解放し、約束の地へ導く使命を帯びた人物モーセが登場します。
モーセは兄アロンと共に、エジプト王ファラオのもとへ赴き、イスラエル民族の解放と出国を要求します。しかしファラオはこれを拒み、かえって労役を重くしました。
その結果、神はファラオの頑なな心を打ち砕くため、エジプトに対して段階的に「十の災い(十災禍)」を下すことになります。
十の災い・十災禍とは
「十の災い(十災禍)」とは、旧約聖書『出エジプト記』に記されている出来事で、神がモーセとアロン(※)を通して、エジプトに段階的な災いを下した出来事を指します。
これらの災いは、単なる自然災害ではなく、イスラエル民族を解放するという神の計画の中で起こされた「しるし」として描かれています。災いが起こるたびに、ファラオは恐れを抱き、民族解放を約束しますが、災いが収まると再び心を頑な(かたくな)にして約束を翻します。
こうした過程を通じて、最終的に第十の災い「長子皆殺しの災い」に至り、ファラオはついに屈服します。これにより、イスラエル民族はエジプトを脱出することが許され、いわゆる「出エジプト」が実現しました。
※アロン…モーセの兄。姉ミリアムを含む三兄弟の長男。つまり、ミリアム(長女)- アロン(長男)- モーセ(次男)の兄弟構成になります。父はアムラム、母はヨケベド。
十災禍一覧
聖書に記録されている「十の災い(十災禍)」は、次の順で起こったとされています。
なお、第4の災い以降は、エジプト人とイスラエル人が明確に区別され、災いはエジプト人側のみに下る点が大きな特徴です。
- 血の災い
ナイル川の水が血に変わり、川の魚は死に、水は悪臭を放って飲めなくなりました。ナイル川はエジプト文明の生命線であり、その水源が打たれたことは、生活基盤そのものが脅かされたことを意味します。 - 蛙の災い
ナイル川から無数の蛙が這い上がり、家屋や寝室、台所にまで入り込みました。蛙は神聖視される存在でもあり、その大量発生は日常生活の秩序を破壊し、人々に強い不快と混乱をもたらしました。 - ブヨの災い
地のちりから無数のブヨ(または蚊・小虫)が発生し、人や家畜を襲いました。 皮膚を刺される苦痛だけでなく、衛生環境の悪化や感染症への恐怖を引き起こし、社会全体に不安が広がったと考えられます。 - アブの災い
アブの大群がエジプト全土を覆い、人々や家畜を激しく襲いました。この災い以降、エジプト人とイスラエル人が明確に区別され、災いがエジプト人のみに下った点が大きな特徴です。 - 疾病の災い
激しい伝染病が広がり、牛・羊・馬などの家畜が大量に死にました。家畜は農業・運搬・財産の中心であり、経済的打撃と生活基盤の崩壊を意味する深刻な災いでした。 - 腫れ物の災い
炉のすすが人と家畜に付着し、膿を伴う腫れ物が全身に生じました。王や祭司、魔術師も例外ではなく、肉体的苦痛とともに人の誇りや尊厳が打ち砕かれる出来事となりました。 - 雹の災い
雷鳴と稲妻を伴う激しい雹が降り注ぎ、畑の作物や野外の家畜、人々に甚大な被害を与えました。天候をも支配する力が示され、自然の猛威に対する人間の無力さが強調されています。 - イナゴの災い
イナゴの大群が国中を覆い、雹で残った作物をすべて食い尽くしました。食料供給が完全に断たれ、飢饉の恐怖が現実のものとして人々を襲いました。 - 暗闇の災い
エジプト全土が三日間にわたり、手探りしなければ動けないほどの暗闇に包まれました。太陽神を信仰していたエジプトにとって、光の喪失は精神的恐怖と神的権威の失墜を象徴する出来事でした。 - 長子皆殺しの災い
エジプト人のすべての長子が一夜にして命を落としました。王から奴隷に至るまで例外はなく、この最終的な裁きによって、ファラオはついに屈服し、イスラエル民族の解放を認めることになります。
近年では、これらの災いを当時の自然現象(疫病・洪水・気候異変など)と関連づけて解釈する研究もありますが、聖書では神の意志を示す出来事として記されています。
アロンの杖がへびに

アロンの杖が蛇(へび)に変わる奇跡は、「十の災い」そのものには含まれませんが、ファラオに神の力を示す最初の重要な出来事として位置づけられています。
神の命令に従い、モーセの指示でアロンが杖をファラオの前に投げると、それは蛇へと変わりました。これに対抗して、ファラオは宮廷の魔術師たちを呼び寄せ、同様の奇跡を行わせます。
しかし決定的だったのは、アロンの蛇が魔術師たちの蛇を飲み込んだ点でした。これは、エジプトの魔術(ファラオ側)よりも神の力(モーセ・アロン側)が上回っていることを象徴的に示しています。それでもなお、ファラオの心は頑なで、民族解放には応じませんでした。
主はモーセとアロンに言われました。 「もしファラオが、あなたたちに『奇跡を見せてみよ』と言うなら、アロンにこう伝えなさい。 『杖を取り、ファラオの前に投げなさい。そうすれば、その杖は蛇になる。』」
そこでモーセとアロンは、主の命じられたとおり、ファラオのもとへ行いました。 アロンが、自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、その杖は蛇に変わりました。
するとファラオは、賢者や呪術師たちを呼び集めました。 エジプトの魔術師たちも、秘術を使って同じことを行い、それぞれの杖を投げると、やはり蛇になりました。
しかし、アロンの杖は、彼らの杖をのみ込んでしまいました。 それでもファラオの心はかたくななままで、モーセとアロンの言葉に耳を傾けませんでした。 これは、主があらかじめ語っておられたとおりのことでした。
十の災いって、どんなお話?

むかしむかし、エジプトという国で、イスラエルの人たちは長いあいだ、とてもつらい生活をしていました。
一生けんめい働いても、自由に生きることができず、苦しい毎日が続いていたのです。
そこで神さまは、モーセという人をえらび、 「もう苦しまなくていいよ。ここから出ていこう」 と伝えました。
でも、エジプトの王さま(ファラオ)は、 「だめだ。出ていってはいけない」 と言って、なかなか言うことを聞いてくれませんでした。
そこで神さまは、十回にわたって特別なできごとを起こします。 それが「十の災い(じゅうのわざわい)」です。
はじめは水が使えなくなったり、虫がたくさん出たりしました。 だんだんと、食べものがなくなったり、暗くなったりして、 「このままではだめだ」と、みんなが気づくようになります。
それでも王さまは、なかなか考えを変えませんでした。 そして最後に起こった、とても大きなできごとによって、 王さまはようやく 「もう行っていい」 と言ったのです。
このお話は、人によっていろいろな受けとめ方ができます。たとえば、
- 人を長いあいだ苦しめつづけることは、どういう結果を生むのかを考えさせてくれたり、
- えらい立場にいる人でも、いつも正しいとはかぎらないことに気づかせてくれたり、
- 力の弱い人や、声をあげにくい人のことは守られるべきこと
などを考えるきっかけになったりします。
どんなことを感じるかは、人それぞれですが、
このお話は、今を生きる私たちが「どう生きるか」を考えるヒントをくれる物語のひとつだといえるでしょう。