
第六の災い腫れ物の災い
第六の災い ― 腫れ物(はれもの)の災い
第六の災いは、「腫れ物(はれもの)の災い」と呼ばれています。これは、エジプトの人々と家畜の身体そのものを直接襲った、非常に深刻な災いでした。モーセとアロンは、かまどから出たススを両手いっぱいにすくい、ファラオの宮廷へと向かいます。そして、ファラオの目の前で天に向かってそのススをまき散らしました。
するとススは、目に見えないほどの細かなチリとなって空中に広がり、やがてエジプト全土に降り注ぎました。そのチリが人や家畜の体に付くと、皮膚は赤く腫れ上がり、ただれ、膿(うみ)をともなう痛ましい腫れ物が生じたのです。人々は激しい痛みと不快感に苦しみ、家畜もまた同じように衰弱していきました。
注目すべき点は、これまでモーセに対抗してきたエジプトの魔術師たちでさえ、この災いの前では無力だったことです。彼ら自身も腫れ物に冒され、立ち上がることすらできず、もはや奇術や呪文をもって対抗することはできませんでした。これは、エジプトの知恵や力が限界に達したことを象徴する場面でもあります。
しかしファラオは、家畜が打たれ、人々が目の前で苦しむ様子を見てもなお、心を頑な(かたくな)にしました。自らの権威と判断に固執し、モーセとアロンを通して語られる神の言葉に耳を傾けようとはしなかったのです。この出来事は、自然や人の力を超えた存在の前で、人がなおも心を閉ざす姿を強く印象づけています。
この第六の災いは、外から与えられる不便や損失にとどまらず、人間の尊厳や日常生活の基盤である「健康」が打たれることで、事態が新たな段階に入ったことを示しています。こうして物語は、ファラオの頑なさと対照的に、災いが次第に深刻さを増していく流れへと進んでいきます(参照:出エジプト記 9章8~12節)。
主はモーセとアロンに言われた。「かまどのすすを両手にいっぱい取って、モーセはそれをファラオの前で天に向かってまき散らすがよい。それはエジプト全土を覆う細かい塵となって、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出るはれ物となるであろう。」二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。すると、膿の出るはれ物が人と家畜に生じた。魔術師もこのはれ物のためにモーセの前に立つことができなかった。はれ物は魔術師のみならず、エジプト人すべてに生じた。しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、彼は二人の言うことを聞かなかった。主がモーセに仰せになったとおりである。
イムホテプImhotep / Physician God

イムホテプは、古代エジプト第3王朝時代に実在した人物で、史上初のピラミッドとされるサッカラの階段ピラミッドを設計した建築家として知られています。しかし彼の功績は建築にとどまらず、医学・天文学・文筆など多方面に及び、特に優れた内科医であったと伝えられています。そのため死後、イムホテプは「知恵・医術・魔法の神」として神格化され、人々の病を癒やす存在として長く崇拝されました。
このような背景を踏まえると、第六の災いである「腫れ物の災い」は、単なる肉体的苦痛にとどまらず、エジプトが誇っていた医学や治癒の力そのものが無力であることを示す出来事として理解されてきました。実際、この災いでは、当時の知識と技術の担い手であった魔術師たち自身が腫れ物に冒され、治療どころか立ち上がることすらできなかったと記されています。
こうした点から、第六の災いは、イスラエルの神が、エジプトの医術と薬の神である「イムホテプ(Imhotep)」をはじめ、疫病や戦いを司る女神「セクメト(Sekhmet)」、そして知識・魔術・癒やしを司る神「トート(Thoth)」といった、病や治癒に関わる神々の領域に直接的な打撃を与えた出来事であったと解釈されています。
さらに別の理解として、第六の災いは、エジプトにおいて特に広く信仰されていた医学と守護、そして平和の女神「イシス(Isis)」に対する象徴的な攻撃であったとも考えられています。イシスは癒やしと再生の力を持つ女神として人々の信頼を集めていましたが、その加護が及ばないかのように国中に腫れ物が広がったことは、「真の癒やしと支配の権威は、イスラエルの神にある」という優位性を強く印象づける結果となりました。
このように第六の災いは、単に人々の身体を打っただけの出来事ではなく、エジプト文明が誇っていた医学・魔術・神々への信頼そのものを揺るがす災いであったと理解されています。
びょうきも なおせないの?― 第六の災いのおはなし

むかし、エジプトには、びょうきをなおす神さまやお医者さんの神さまがいると、人びとは信じていました。
たとえば、とてもかしこくて、お医者さんの神さまともいわれたイムホテプ。
また、びょうきから人を守る女神イシスも、たくさんの人に大切にされていました。
「この神さまたちがいれば、だいじょうぶ」
エジプトの人びとは、そう思っていたのです。
ところが、第六の災いがおこります。
モーセが空にまいたススは、ちいさなちりになって国じゅうに広がり、人やどうぶつの体にくっつきました。
すると――
体が赤くはれて、とてもいたいできものができてしまったのです。
いちばんこまったのは、びょうきをなおすはずのお医者さんや魔術師たちでした。
なんと、その人たち自身も びょうきになってしまい、だれも人をなおすことができませんでした。
このできごとから、こんなことがつたえられていると考えられています。
「人の力や、神さまの名前だけでは、ほんとうに人を守ることはできないことがある」
「だれが本当に いのちを大切にし、世界をつかさどっているのか」
第六の災いは、エジプトの人びとが信じていた
びょうきといやしの神さまよりも、イスラエルの神のほうが大きな力をもっている――そう考えさせる出来事だった、ともいわれています。